私のスケジュール(坐禅&講演会)

毎週 日曜日 6:30より大阪城公園ヨガ&坐禅(雨天中止)、8:10より『哲おじさんと学くん』の勉強会。(Zoom参加可:us02web.zoom.us/j/81155940222 / パスワード:887494 - ただし第四日曜日はリアル参加のみ)。
場所:夏季(4月下旬〜11月)は「隠し曲輪」(城の西側)、冬季(12月〜4月上旬)は「石山若宮大明神」横(城の北東方面)。
月曜日 20:00~20:50 英語で Zen & Zazen をズーム開催(入室:us02web.zoom.us/j/82680384333 / パス:xuanyoga)。

2024年

4月
12日(金)兵庫県神戸市東灘区御影本町6ー15ー10 整体院CrossPhysio 「英語で坐禅WS」16:30 ~ 18:30 。
13日(土) 大阪市 NHK文化センター坐禅教室」9:30 ~ 11:30
27日(土) 大阪市 NHK文化センター「仏教講義」10:30 ~ 12:00。

5月
11日(土) 大阪市 NHK文化センター坐禅教室」9:30 ~ 11:30
25日(土) 大阪市 NHK文化センター「仏教講義」10:30 ~ 12:00。

6月
8日(土)  大阪市 NHK文化センター坐禅教室」9:30 ~ 11:30
15日(土)兵庫県神戸市東灘区御影本町6ー15ー10 整体院CrossPhysio 「英語で坐禅WS」9:30 ~ 11:30 。

22日(土) 大阪市 NHK文化センター「仏教講義」10:30 ~ 12:00。

7月
13日(土) 大阪市 NHK文化センター坐禅教室」9:30 ~ 11:30
19・20日 長崎県佐世保市洪徳寺で法話
27日(土) 大阪市 NHK文化センター「仏教講義」10:30 ~ 12:00。

8日(日) 静岡県 富士宮市 大悟庵で法話

8月〜9月 ドイツで公演&接心

10月
22日 (火)鳥取県 米子市 總泉寺「禅の集い」9:30 ~ 15:30.

12月
21日 (土)東京都 有楽町 日本仏教鑽仰会で講演 13:30 ~ 15:00。。

2025年

2月
2日(日)  兵庫県 芦屋市 仏教会館公開仏教講座 10:00 ~ 12:00。

3月
16日(日) 兵庫県 芦屋市 仏教会館公開仏教講座 10:00 ~ 12:00。

7月
19・20日 長崎県 佐世保市 洪徳寺で法話

8月〜9月 ドイツで公演&接心

 

講演や、その他のお仕事のご依頼は、下記のメールアドレスからよろしくお願いいたします:

sendaba あっと gmail どっと com

托鉢

ネルケ無方の活動を支援してみませんか

安泰寺の九代目住職だったネルケ無方は2020年に山を下りて、18年ぶりに大阪城公園で「流転会」という坐禅の集いを再開しました。安泰寺に通う傍ら、仏典の翻訳や自著を手掛け、全国で講演会を開いています。時々京阪神方面で托鉢に出かけることもありますが、ペイパルを通じても無方の活動を支援できます。

takuhatsu
 
オンライン托鉢
一回だけ支援する

PAYPAL が苦手なお方には、OFUSE というオプションもあります:

ネルケ無方にOFUSEする

ネルケ無方の本の紹介

 

mayoeru

迷える者の禅修行

坐禅メディテーションを、一度やってみないか」
まだ十六歳だった青年は一度でやめるつもり、坐禅に参加してみました。場所は東西が統一する前の、旧西ドイツの地方都市にある全寮制の高等学校でした。
その青年は今や、日本の山奥の禅寺の住職をしている私なのです。私をそこまで魅せられてしまったものは何だったのか。住職となって、私の半生を振り返ってみました。そして2011年に出版されたデビュー作の中で、禅修行のあり方、日本仏教のあり方、そして私自身の生き方について書きました。

書評:asahi.comkiironokirinn.combuddhistwoman.comliliki.netpasage.comrigmarole07neko3kaitensaltyhakata

 
 
迷いは悟りの第一歩

迷いは悟りの第一歩

私には二つの名前がある:「イエンス・オラフ・クリスティアンネルケ」と「ネルケ無方」。
前者はドイツ人である私の「クリスチャン・ネーム」。多くの欧米人と同様、私は幼い頃に洗礼を受けてクリスチャンになりました。一方、「無方」という僧名には「一切の方角に開かれている、とらわれのないありさま」という意味がある。二つの名前が象徴するように、私はキリスト教の国に生まれ、クリスチャンとして育ちましたが、現在は安泰寺の住職を務めています。
「無常」を悟る仏教と、隣人を愛せよというキリスト教・・・
『仏教よ、君にはまだ愛が足りないよ』、その声はひょっとして、私の内なる「クリスティアン」。そこには、「無方」も黙ってはいられない:『愛が足りないのは、あなたこそでしょう!』
他人事だと思っても、この本で展開されている私の内なる夫婦喧嘩に付き合って頂き、日本人の読者の宗教観を考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

書評:kienlen.exblog.jpeigajournal.wordpress.comyaplog.jp/kagawakazuko佐藤優:知を磨く読書

 
 
hadakanobosama

裸の坊様

「国 家、集団、性欲、家族愛、隣人愛、私-すべてをつなぐのは禅の実践。キリスト教文化の中で育ち、違和感を感じ続けたドイツ人青年は、禅と出合い、日本で禅 僧となった。身体と頭、キリスト教と仏教、国家と個人、いくつもの境界を超えて、異文化を実感するなかで、一貫するのは禅的生き方。山奥の禅堂・安泰寺の 九代目の堂頭として、坐禅と自給自足に一生をかける――と、覚悟を決めたその対極に、最愛の妻、家族の幸せを考えるアンビバレントな現実がある。禅僧とし ての矜持から、集団に対しての責任、そして家庭――引き裂かれつつ、悩み尽きない禅僧の赤裸々な現在。」(本の帯より)

書評:zenken.aichi-gakuin.ac.jpameblo.jp/nibbaana

 
 
ただ坐る

ただ坐る

「なぜ、坐禅を?」
坐禅に向かう姿勢、環境の整理、身・息・心のととのえ方から、坐禅と実生活の結び付きまで説明。
無宗教の日本人には“心の主食”が欠けている 日々の坐禅は“生活の軸”となり、 人生はうまく回りだす 多くの悩みやストレスを抱える現代人は、常に思考を巡らせていて“頭でっ かち”になっています。正解を追い求めることをやめ、坐禅という「考えな い時間」をつくることで、一日の内容は確実に違い、そして人生そのものも 変わっていきます。 日本とは異なる文化圏出身の禅僧だからこそ見える仏教の意義を改めて確認し、 今日から坐禅の旅へいざ出発! 」(出版社の内容紹介より)

書評:kagiaccount.comfinalvent.comd.hatena.ne.jp/tanu_kiayaexcalibur.jppasage.blog43.fc2.comsingleandover40.com

 
 
muho_book

禅の教え 生きるヒント33

安泰寺の修行を赤裸々と語りながら、道元禅師の言葉を吟味しています。
私自身の問題として、現代社会に生きている一個人の「発菩提心」の可能性を考えている一冊です。
本からの抜粋:典座教訓と知事清規典座のこころ

書評:kiironokirinn.blog77.fc2.com

 
 
禅が教える「大人」になるための8つの修行

禅が教える「大人」になるための8つの修行

道元禅師著『正法眼蔵』の最後の一巻、「八大人覚」について:
一、「少欲(しょうよく)」執着しないように
二、「知足(ちそく)」手放すように
三、「楽寂静(ぎょうじゃくじょう)」よそ見をしないように
四、「勤精進(ごんしょうじん)」いつも自分の頭で考えるように
五、「不忘念(ふもうねん)」観じつづけるように
六、「修禅定(しゅぜんじょう)」集中するように
七、「修智慧(しゅちえ)」実践しながら生きるように
八、「不戯論(ふけろん)」言葉にとらわれないように

書評:kiironokirinn.blog77.fc2.comameblo.jp/shellacmodeblog.goo.ne.jp/zen-en

 
 
dogen-muho-book

道元を逆輸入する

諸法の仏法なる時節…
At the time when you awaken to the way things really are….

道元が伝えたかったことが、日本人にだけ伝わるものであるはずがない。欧米人にも、インド人にも、アフリカ人にも、誰にでも理解しようと思えば理解できるものであるはずだ。
「仏法」とは何か? 私は「法」をあえて “dharma” などと訳さないで、 “thing” にした。そうすると、素直に訳せば”When all things are buddha things” になる。しかし、”buddhathing” では、英語になっていない。「仏」とは目覚めた人のこと、またそのあり方を指している。ならば、「諸法の仏法なる時節」を「曇りのない目で見たときの、物事の本当の姿」という解釈はできないだろうか。喜怒哀楽の色めがねを取ったときに見えてくる、ものごとのありのままの姿。
今、あなたが生きているその瞬間に、仏は確かに息づいている。本当の「仏」とはほかに求めるものではなく、今ここ、あなたの足下で実現させなければならないのだ。
自分のエゴを手放して、無執着で生きることが仏の働きの《現成》なのだ。それ以外に仏を追い求めても仕方ないというのが道元のメッセージだ。そしてこのメッセージの宛先は誰か? 私たちだ。(本文より)

書評:kiironokirinn.blog77.fc2.com

 
 
迷いながら生き

迷いながら生きる

この世に「救い」はなく、「悟り」もない。ただ「今、生きること」に没頭しよう。

「ありのままの自分を認めてほしい・・・」
「自分の人生、本当にこれでいいのだろうか?」
「何ものにも縛られずに自由に生きたい!」

こんな思いを抱いているすべての人へ。安易に答えを求めず、「考え、迷うこと」を促す本。
「やればできる」や「夢を追い続けろ」など、この本の中でそんなことは一切言わない。
ありもしない「本当の自分探し」から卒業し、「いま現にここにある、自分の迷いに自信を持つこと」を勧めたい。

書評:buddhistwoman.blog.fc2.compantasmacoello.hatenablog.jp

 
 
日本人に「宗教」は要らない

日本人に「宗教」は要らない

僧侶による「宗教不要論」? まさかね・・・。
多くの読者に「わかりやすい!」と評価されています。

第1章「日本人は無宗教」って、本当?
第2章 こがすごいよ、日本仏教
第3章 ちょっと不思議な、日本仏教
第4章 もし日本から「仏教」がなくなったら・・・
第5章 日本人はなぜキリスト教を信じないのか
第6章 日常生活に役立つ「禅」の教え

書評:mar-ppee.tumblr.comfuneralservice.livedoor.biztoki.hatenablog.commusicbuddha.hatenadiary.jpliliki.netpasage.blog43.fc2.com

 
 
読むだけ禅修行

読むだけ禅修行

シャワーの下で浣腸ポーズ!?「挨拶」「大丈夫」「愛」「自由」「縁起」「無」「以心伝心」「一期一会」などなど、様々な仏教語を手掛かりに日常生活の中の禅修行を説く。JTの広告で知られている寄藤文平さんのデザインしたかわいらしいカバーと、ライターさんによる気の利いた川柳のおかげで、手に取りやすい一冊になりました。
問題は、住職の字の下手さではないでしょうか。

書評:100nokoto.comfum2.jptukapai.com

 

その他

     

    

     

典座教訓⑥

典座教訓

三更さんこう以前に明曉の事を管し、三更以來に做粥きしゅくの事を管す。

當日、粥了りて、鍋を洗ひ飯を蒸し羮こうを調ふ。齋米を浸すが如きは、典座、水架の邊を離るること莫れ。

明眼に親しく見て、一粒を費さず、如法に洮汰し、鍋に納れ火を燒き飯を蒸す。古いにしえに云く、「飯を蒸す鍋頭かとうを自頭じとうとなし、米を淘りて水は是れ身命と知る」と。

蒸し了りたる飯は便ち飯籮裏はんらりに收め、乃すなわち飯桶に收め、擡槃だいばんの上に安ず。菜羮等を調辨すは、應に飯を蒸す時節に當るべし。典座、親しく飯羮の調辨の處在を見、或は行者を使ひ、或は奴子ぬすを使ひ、或は火客こかを使ひ、什物じゅうもつを調へしむ。近來の大寺院には飯頭、羮頭有り。然れども是れ典座の使ふ所なり。古き時は飯頭、羮頭等無く、典座が一管す。

凡そ物色を調辨するに、凡眼を以て觀る莫れ、凡情を以て念おもふ莫れ。一莖艸いっきょうそうを拈じて、寶王刹ほうおうせつを建て、一微塵に入て大法輪を轉ず。所謂、縱ひ莆菜羮ふさいこうを作る時も、嫌厭輕忽けんえんきょうこつの心を生ずべからず。縱ひ頭乳羮づにゅうこうを作る時も喜躍歡悦きやくかんえつの心を生ずべからず。既に耽著たんじゃく無し、何ぞ惡意おい有らん。然あれば則ち、麤に向ふと雖も全く怠慢無く、細に逢ふと雖も彌よ精進有るべし。切に物を遂ふて、心を變ずること莫れ。人に順ひて詞ことばを改むるは、是れ道人に非ず。

志を勵まして至心ならば、庶幾こひねがわくは浄潔なること古人に勝り、審細なること先老を超えん。

其の運心道用の體ていは、古先、縱ひ三錢を得て莆菜羮を作るも、今吾れ同じく三錢を得て頭乳羮づにゅうこうを作らん。此の事、爲し難し。所以は何ん。今古殊異にして天地懸隔す。豈に肩を齊しくし得んや。然あれども審細に辨肯する時、古先を下視あしする理、定んで之れ有り。

此の理、必然ならば猶ほ未だ明了ならず、卒に思議紛飛して、其の野馬の如く、情念奔馳ほんちして林猿りんえんに同じき由なり。若し彼の猿馬えんばをして、一旦、退歩返照せしめば、自然に打成一片ならん

 

身相既に定まり、氣息も亦調へ、念起らば即ち覺せよ、之を覺せば即ち失す、久々に縁を忘じ、自ら一片とならん、此坐禪の要術なり。(普勧坐禅儀・天福本)

坐禅@大阪城公園、随聞記勉強会43

資料:

https://drive.google.com/file/d/1vSwaUqmeaNvy31zokXAvtkh0XNw-Uh7g/view?usp=sharing

https://drive.google.com/file/d/1Zlf1FgM2S3WHE0zgMCI91i_B4Pnb6cxI/view?usp=sharing  

チャット記録:

00:14:33    火童:    おはようございます。環境が整わないので今回は耳だけの参加とさせていただきます…
00:15:50    火童:    カメラなしでも画面共有は可能かと思います
00:17:26    火童:    見られますか?
00:23:29    ネルケ 無方:    miraretemasu.
00:23:44    火童:    🙏
00:24:39    火童:    菩提薩埵四摂法 ししょうほう、ですね
00:32:52    onishi:    エゴは殺さないといけないものでしょうか?
00:37:12    火童:    衆生には自分も入るのでは。エゴは、自未得度先度他の自じゃなくて他の方に入るのでしょうか
00:38:17    Kei-ichiro Imazai:    殺さなければならないこともないような気がします。まさに「お前なんかどうでもいい」といったところでしょうか。
00:50:45    火童:    元首座のお師匠は怒らないで泣いてましたね。
00:54:10    Kei-ichiro Imazai:    金髪だった「不良の前田さん」に先日お会いしました。ネルケ老師に泣かされたけれど、安泰寺の日々があって今の自分があると話しておられましたよ(笑)。
00:54:45    onishi:    弟子の体たらくをさめざめと涙をこぼしながら叱りつける無方老師はイメージできない🤣
00:58:37    Kei-ichiro Imazai:    禅宗
00:59:03    Kei-ichiro Imazai:    禅宗は中国経由なので、乱暴なところがあると思いますが、釈迦はいつも穏やかですよね。
01:00:28    火童:    感応道交(物理的)
01:02:41    火童:    医者が全員に同じ薬を出したら死人が出ますね。
01:06:01    Kei-ichiro Imazai:    特別支援学校の校長先生が「教育の原点は障害児教育である」と話してくれたことがあります。本来、教育は一人一人に向き合う必要があるが、その最も極端な例が障害児教育だからだと。だから障害児教育に携わることはすべての教育に通じるのだと。
01:12:05    火童:    道元さまのお師匠の如浄禅師も結構荒々しかったような…
01:12:19    島 雄:    なるほど、「悩める凡夫」は全員、障碍児なのですね。
01:16:45    島 雄:    道元さんは、如浄師が坐禅中に居眠りした僧を叩いたときの「身心脱落」でめざまれたわけでしょう?
01:17:08    Kei-ichiro Imazai:    一方で、授業を妨害しても廊下に立たせてはいけない、厳しく叱ってはいけないとする現代の学校教育も考えものだと思います。他の子供たちはいい迷惑ですよねぇ。特に公立は退学にできないし。結果、私立と公立で教育の不平等が起こる。
01:23:37    Kei-ichiro Imazai:    ネルケ老師が安泰寺のお庭を子供さんと散歩するときの方言の入った優しいお話しぶりがとても好きです。
01:24:55    Kei-ichiro Imazai:    叱る叱られるも一期一会なのでしょうね。
01:26:49    火童:    ぼくらが恐れるべきも、仏法が分からないことよりも、仏法を求めないことなのですね。
01:29:07    島 雄:    「求める」という言葉には、若干、抵抗がありますが……。
01:30:13    火童:    丙丁童子来求火
01:30:29    onishi:    「仏道を歩む」という意味ではないでしょうか?
01:34:58    Kei-ichiro Imazai:    下戸の引きこもりは、はからずして五戒を完全に守れますが、味わっていないからダメなのか、それもとも己の計らいがないから是とされるべきか(笑)。
01:36:37    Kei-ichiro Imazai:    物見遊山の人、日蓮なら折伏するかも。
01:37:35    島 雄:    味わう、噛みしめる……いい言葉を思いつきまいた。仏向上。
01:43:26    Kei-ichiro Imazai:    みなさん、ありがとうございました。良い年をお迎えください。
01:43:33    mori:    ありがとうございました。
01:43:33    火童:    ありがとうございました。合掌
01:43:45    onishi:    良いお年を😊

 

坐禅@大阪城公園、随聞記勉強会43

資料:

https://drive.google.com/file/d/1vSwaUqmeaNvy31zokXAvtkh0XNw-Uh7g/view?usp=sharing

https://drive.google.com/file/d/1Zlf1FgM2S3WHE0zgMCI91i_B4Pnb6cxI/view?usp=sharing  

チャット記録:

00:14:33    火童:    おはようございます。環境が整わないので今回は耳だけの参加とさせていただきます…
00:15:50    火童:    カメラなしでも画面共有は可能かと思います
00:17:26    火童:    見られますか?
00:23:29    ネルケ 無方:    miraretemasu.
00:23:44    火童:    🙏
00:24:39    火童:    菩提薩埵四摂法 ししょうほう、ですね
00:32:52    onishi:    エゴは殺さないといけないものでしょうか?
00:37:12    火童:    衆生には自分も入るのでは。エゴは、自未得度先度他の自じゃなくて他の方に入るのでしょうか
00:38:17    Kei-ichiro Imazai:    殺さなければならないこともないような気がします。まさに「お前なんかどうでもいい」といったところでしょうか。
00:50:45    火童:    元首座のお師匠は怒らないで泣いてましたね。
00:54:10    Kei-ichiro Imazai:    金髪だった「不良の前田さん」に先日お会いしました。ネルケ老師に泣かされたけれど、安泰寺の日々があって今の自分があると話しておられましたよ(笑)。
00:54:45    onishi:    弟子の体たらくをさめざめと涙をこぼしながら叱りつける無方老師はイメージできない🤣
00:58:37    Kei-ichiro Imazai:    禅宗
00:59:03    Kei-ichiro Imazai:    禅宗は中国経由なので、乱暴なところがあると思いますが、釈迦はいつも穏やかですよね。
01:00:28    火童:    感応道交(物理的)
01:02:41    火童:    医者が全員に同じ薬を出したら死人が出ますね。
01:06:01    Kei-ichiro Imazai:    特別支援学校の校長先生が「教育の原点は障害児教育である」と話してくれたことがあります。本来、教育は一人一人に向き合う必要があるが、その最も極端な例が障害児教育だからだと。だから障害児教育に携わることはすべての教育に通じるのだと。
01:12:05    火童:    道元さまのお師匠の如浄禅師も結構荒々しかったような…
01:12:19    島 雄:    なるほど、「悩める凡夫」は全員、障碍児なのですね。
01:16:45    島 雄:    道元さんは、如浄師が坐禅中に居眠りした僧を叩いたときの「身心脱落」でめざまれたわけでしょう?
01:17:08    Kei-ichiro Imazai:    一方で、授業を妨害しても廊下に立たせてはいけない、厳しく叱ってはいけないとする現代の学校教育も考えものだと思います。他の子供たちはいい迷惑ですよねぇ。特に公立は退学にできないし。結果、私立と公立で教育の不平等が起こる。
01:23:37    Kei-ichiro Imazai:    ネルケ老師が安泰寺のお庭を子供さんと散歩するときの方言の入った優しいお話しぶりがとても好きです。
01:24:55    Kei-ichiro Imazai:    叱る叱られるも一期一会なのでしょうね。
01:26:49    火童:    ぼくらが恐れるべきも、仏法が分からないことよりも、仏法を求めないことなのですね。
01:29:07    島 雄:    「求める」という言葉には、若干、抵抗がありますが……。
01:30:13    火童:    丙丁童子来求火
01:30:29    onishi:    「仏道を歩む」という意味ではないでしょうか?
01:34:58    Kei-ichiro Imazai:    下戸の引きこもりは、はからずして五戒を完全に守れますが、味わっていないからダメなのか、それもとも己の計らいがないから是とされるべきか(笑)。
01:36:37    Kei-ichiro Imazai:    物見遊山の人、日蓮なら折伏するかも。
01:37:35    島 雄:    味わう、噛みしめる……いい言葉を思いつきまいた。仏向上。
01:43:26    Kei-ichiro Imazai:    みなさん、ありがとうございました。良い年をお迎えください。
01:43:33    mori:    ありがとうございました。
01:43:33    火童:    ありがとうございました。合掌
01:43:45    onishi:    良いお年を😊