大人の修行

3つの問い (大人の修行⑯)

次の何ヶ月かにわたって、今度は正身端坐の坐禅について課題を言及していきたいと思います。まず去年メールで問い合わせがあった3つの質問から始めようと思います。その質問というのは、1.坐蒲の上でどう坐禅をし、またどうやって呼吸をすべきか。 2.坐禅以…

トマトとキューリ (大人の修行⑮)

現成公案のなかで、道元禅師は「草は棄嫌におふるのみなり」と記していますが、仏弟子はまさに雑草のように生えてこなければなりません。たとえ師匠の「棄嫌」な態度に踏みにじられても・・・いや、踏みにじられてこそ生えてくる雑草が仏弟子の目標でなけれ…

オマエなんか、どうでもいい! (大人の修行⑭)

私たちはなかなか坐禅ができない、あるいは坐禅をしていても心が落ち着かない、その本当の理由を明らかにするために、一昔前の安泰寺文集の一部分を検討しました。それらの文書は非常に真面目に坐禅の如何を問うていますが、どこか他人事のように頭だけで坐…

リクツ抜きに坐ること (大人の修行⑬)

坐禅とはまず身体の姿勢を調え、その後に呼吸を調え、そしてその後にいよいよ肝心な心を調えることだと思う人も多いと思いますが、これは大きな間違いです。身体と、呼吸と、心とは、別物ではないからです。身体の姿勢を調えることはそのまま呼吸を調えるこ…

凡夫のナマ肉 (大人の修行⑫)

「安泰寺は学校ではなく、各自が課題は与えられつつも、求めるのは自分であり、自分が参究する場であって、教えてもらう所ではない。つまり、自分がどれだけ、どう、扉を『叩く』かということである。」 私の先輩は安泰寺に入門した当初、こう心得て出発しま…

どれだけ、どう、扉を叩くか (大人の修行⑪)

仏教の中に十重禁戒という大事な教えがあります。簡単に言ってしまえば、この十戒を破れば、例えお坊さんであっても、いやお坊さんだからこそ地獄に堕ちることを免れません。この十重禁戒は不殺生(殺さない)、不偸盗戒(盗まない)から始まりますが、その…

理想と現実――今の息を今息しつつ (大人の修行⑩)

三回にわたって、初めて安泰寺に上山したときに受けた印象などを振り返ってみました。私が大学生の頃に持っていた「ZEN」のイメージと安泰寺の実生活が全く違っていたのは、以前述べたとおりです。特に雲水が坐禅中に絶えず居眠りしているという現実は私の坐…

べつに、死んでも・・・ (大人の修行⑨)

安泰寺で経験した生活は私の考えていた「禅修行」と大部違いました。先月号にも書きましたが、生きるための作務の大変さ、雲水の坐禅中の居眠り、そして「安泰寺をオマエが創るのだ!」という想像もしなかった修行態度。もう少し詳しく振り返ってみたいと思…

安泰寺はオマエが創るんだ (大人の修行⑧)

安泰寺での初めての夜は私にとっていまだに印象深いものです。田舎の山の中に安泰寺だけがぽつんとあるにもかかわらず、どこからか騒がしげな音楽が聞こえるのです。街の中でさえそんなにうるさいことは希だというのに、初めての夜は一晩中、黒人が“ハレルー…

安泰寺への道 (大人の修行⑦)

はじめて安泰寺に上山したのは22歳の時。それまで6年間はあちらこちらの道場で参禅したり、自分一人で坐禅してみたりしましたが、毎日坐禅していても、私のこうした坐禅はむしろ趣味ではないかという疑問を持つようになり、早く一日24時間修行ができる…

もの足りぬ (大人の修行⑥)

先月は「大人」という言葉を「八大人覚」の「少欲」と「知足」で説明しました。 今ここ自分に与えられた一瞬の命の素晴らしさに気付き、よそでいらないものを追求しないことが大人としての自覚です。というようなことを言ってしまいますと、そんなことはたん…

少欲・知足 (大人の修行⑤)

「アンタにまで赤ちゃん返りされては困る!」 6月のはじめに私の長女が産まれてから、よく妻にそう怒られてしまいます。赤ちゃんが産まれると、上の子が今まで成長して覚えたことまで忘れて精神的に「赤ちゃん」に戻ることを心理学で「赤ちゃん返り」という…

業と行 (大人の修行④)

さて、「大人の修行」という言葉の意味ですが、「大人」の意味をハッキリさせる前にはまず「修行」について考えたいと思います。今年の「帰命」の2月号では「坐禅」と「座禅」の違いについて書きましたが、「修行(しゅぎょう)」と「修業(しゅうぎょう)…

自分の問題 (大人の修行③)

「大人の修行」、これは何か。 まず、自分のケツを自分で拭くこと。そもそも修行しようと思っているのは自分自身のはずですから、自分の壁にぶつかったとき、それを自分で越えなければ、大人とはいえません。子供が親にオンブされているように、弟子が師匠に…

何を修行するか (大人の修行②)

前回に続いて「大人の修行」を考えてみたいと思います。この「大人の修行」シリーズは長引きそうですが、付き合っていただければ幸いです。まず安泰寺で参禅者にかならず渡している参禅しおりに一番初めに出てくる文書を引用したいと思います(このホームペ…

坐禅とは、修行とは何か?(大人の修行①)

安泰寺の堂頭になって、丸一年が経ちました。それまでは自分の修行しか心配することはありませんでしたが、師匠の指導の元で仲間と一緒に生活している雲水の立場から、堂頭という、修行者を指導し、参禅者に修行の如何を教えなければならない立場に変わりま…