永井哲学について
疑問 • なぜ〈私〉は「私」なのか? • 他者に〈私〉はあるか? • 枠である〈私〉と内容は関われないのではないか? • なぜ「私」が〈私〉に気づくことが可能なのか? • なぜ〈私〉に気づいたことが「私」に影響するのか? • 内容と無関係に〈私〉は存在しうるのか…
先日から、ツイッターで清水将吾さんというお方と永井哲学の用語である〈私〉と「私」をめぐってのやり取りをはじめました。 最後には仏教の「無我」の教えにたどり着き、「もう少し説明を…」と言われたので、これから整理してみたいと思います。 このスレッ…
『進みと安らい』の紹介: 永井さんへの三つの問い:
以前、ほぼ同趣旨のことを知人(顔見知り)が誰もいない状況として書いたが、それだと刹那的な存在承認が生じてしまう余地があるので、AIによって管理される終身刑のような状況を考えた方がよいだろう。ネット、テレビ等による外界の閲覧は可能という条件を…
以前、ほぼ同趣旨のことを知人(顔見知り)が誰もいない状況として書いたが、それだと刹那的な存在承認が生じてしまう余地があるので、AIによって管理される終身刑のような状況を考えた方がよいだろう。ネット、テレビ等による外界の閲覧は可能という条件を…
永井均さんから、「存在と時間―哲学探究1」という新しい御著書が届きました! そこで再び、「≪私≫はなぜ私?」という問いについて、考察してみました。 二週間ほど前、私は次の問題を提起しました: 「〈私〉はなぜ私?」という問いは、誰の問いか。私の問…
永井均さんの哲学について、三つの疑問: 1)「≪私≫はなぜ私?」という問いは、誰の問いか。私の問い、それとも≪私≫の問いか。 2)私、≪私≫と天地いっぱいの自己(あるいは真我、あるいは阿弥陀如来・・・)の関係は何か。 3)≪私≫という立場に立ったとし…