正しい坐り方、その 7「三分の中に二分を食す」 (大人の修行㉗)

 先月は昔の安泰寺と新しい安泰寺の接心差定を比較しました。坐禅は1増え、食事は3食から2食へ替わった所を見ますと、かなり厳しくなったようにも受け取れますが、実は逆に楽になったのです。旧差定では14のうち4は60分間、7は50分間でしたが、いまは(朝4時から始まる1?目を除いて)それぞれの1の長さは45分です。旧差定での昼食後の一時間(午後1時~2時)と薬石後の一時間(午後7時~8時)はまさに地獄でしたが、今は最後の15分がなく、楽に坐れます(そもそも、食事の後の坐禅でぐっすり眠れる人なら、旧差定でも楽に坐れたのでしょうが・・・)。その他の坐禅でも、足腰が一番痛くなるのは最後の5分ですが、この5分は今、もはやなく、その分足の動かせる経行が5分間長くなりました。これが45分間を15坐った方が楽な訳です。

 また、「1日2食」と言いますと、いかにも「厳しい修行道場らしい修行」に聞こえますが、これも3食をたらふく食べるよりも、1日2食軽く食べた方が楽に坐れるからなのです。だいたい、食べれば食べるほど足の痛さも増しますし、眠気にも勝てなくなります。接心中に2食しか出なくても、餓死した人は未だに出ておりません。それどころか、新しい差定に不満を持った人すら一人もいません。たいがいは「これは正解だった」と言ってくれます。

 睡眠不足や疲労に関して、先々月同様「忍辱の婆羅蜜としての坐禅」を考える必要があります。睡眠不足のない、極度の疲労のない状態で坐禅するのは好ましいに決まっていますが、特に僧堂のような環境では、まさに極度の疲労の状態で坐禅したり作務したり典座をしたりすることがよくあります。その場合、「今日はちょっとしんどいから休ませてくれ」とは言えないわけです。疲れていても、疲れたままで仏道修行に自分のすべてを投げ出さなければなりません。坐禅中の居眠りの問題を考える際に、この点が大事です。「疲れているから居眠りする」というのでは、仏道修行になりません。多くの日本人にとっては、坐禅中の居眠りの問題は足腰の痛みなどよりも深刻な問題のようです。そこでまず「私が居眠りしている」という自覚が大事ですが、この自覚すら出来ていないケースは意外に多いものです。本人がぐっすり眠っているのですから、当然「眠っている」という現実には気づきません。そしてハッと目が覚めたときでも、今まで寝ていたということに気づかず、ちゃんと坐禅していた幻覚に取り憑かれてしまいます。また、「私が居眠りしている」と自覚できたとしても、居眠りしているのは誰のせいかという時に、「睡眠不足・極度の作務の疲労」などと言わずに「誰でもなく自分の責任」と考えない限り、居眠り癖はいつまでたっても直りません。接心前の作務で誰でも疲れ切っています。それを言い訳に「多少居眠りしても文句はないだろう」というのはおかしいのですが、「明日から接心が始まりますから、何でここまで作務や典座の仕事をやらなければならないのか。接心に備えて、はやく寝たいなぁ」という訳にもいきません。

 安泰寺にいたら、「自分の時間が全然ない」という人がたまにはいるものですが、これはとっても変な話です。「安泰寺で修行したい」というのは自分のはずです。それならば、安泰寺での生活の24時間がすべて「自分の時間」になります。坐禅にしろ作務にしろ、典座にしろ入浴の時間にしろ、寝ても起きても、「自分の時間」ではない時間は1分もないはずです。なのに、「時間がない」「休めない」「しんどいだ、たいへんだ」と口癖のようにいう人がなぜ安泰寺にいるのでしょうか。そもそも、安泰寺の生活の中、休み時間が果たしてそんなに少ないのでしょうか。なるほど、朝4時や5時に起床してから夜の8時までは忙しく、プライベート・タイムもないかもしれませんが、毎晩7~8時間は休めるはずです。他の僧堂で3~4時間の睡眠時間しかないところと比べれば、まさしく天国そのものです。世間でも、安泰寺の雲水よりはるかに忙しく働いている方々はたくさんたくさんたっくさんおられるはずです。ですから、「安泰寺では時間がない」というのは嘘です。時間はいくらでもありますが、その時間をこの自分がどういう風に使っているのか、というのが問題なのです。

 主体性を持って、「自分の修行の時間・生きる時間」として自覚的・自主的に生きているのか、それとも「忙しい、忙しい」という勝手な思いに使われているのか、そのどちらかなのです。坐禅の時間、典座の時間、作務の時間、休み時間をこの自分がどれだけフルに使いこなし、生かしているのでしょうか。下手をすれば、その時間を無駄にし、殺しているのではないでしょうか。安泰寺の「参禅心得」にあります、「自分が今生きているこの瞬間の命のほかに期待するものがあれば、必ず失望するであろう。自分をも人をも誤魔化さずに、私は一体何をしにここへ来たのか、と自分に問うてみられたい」という文書もそこが言いたいのです。私の生命はこの一瞬にあります。この一瞬を生かすか生かさないかが私次第です。言い方を換えれば、この一瞬の生命に絶えず生かされている「私」を自覚するかどうか、ということです。

 道元禅師は「道心なき者はいたずらに辛苦を労して畢竟益なし」(典座教訓)といいますが、「辛い・苦しい・疲れた・云々」という思いは、修行そのものが辛いから生じてくるのではなく、ハッキリ言って道心が足りないからです。道心とは何かと言いますと、同じ典座教訓では「襷(バン・たすき)をもって道心となす」とありますが、袖を捲り上げて働くと言うことです。学道用心集の中にも、楽したい人はいくら楽しようと思っても、寝ていても結局は「辛い」といった意味合いのことを書いています。 やることをタダやる、というのが修行です。そのために必死になるのです。

 がしかし、疲れに限界があるのも事実です。いつも疲れ切った状態で坐りますと、いつの間にか慢性的な居眠癖が生じてきます。後からその癖を直そうと思っても、なかなか直らないものです。私が安泰寺に来た当初、雲水はよく「接心は我々の唯一の休み」と言っていました。たしかに、普段の日の重労働から解放されるのは接心だけでした。接心に限って、「ただ坐ればよい」のです。ところが、普段の日の作務があまりにも大変すぎて、胴体の筋肉が緊張しているせいか、作業が終わっても労働した割には腹が減らないことがよくありました。なのに、接心でゆっくり坐って筋肉から力が抜けてしまいますと、一気に食欲が爆発します。接心の典座(台所の当番)もそれに備えて、普段の日よりも1品や2品多めにおかずを作ってくれます。何しろ、旧安泰寺の差定では、典座は接心の坐禅には一切参加せず、朝4時から夜9時まで台所に詰めていますから、いくらでもご馳走を作る時間を持っているわけです。また、接心のために外からいただいた食品をわざわざ取っておくこともよくありました。

 衆僧を供養することが典座の役目ですから、接心中も当然なるべく美味しいご馳走を作ることを心がけなければなりません。しかし、接心というのは「くいだおれ」では、けっしてありません。接心に合ったメニューと量を考えなければなりません。瑩山禅師の「坐禅用心記」にある「三分の中に二分を食して一分を余すべし」という言葉はやはり参考にすべきです。なのに、「接心中は食べることと寝ることしか楽しみがない」といったり、接心後に体重計に上って「3日で2キロも太ったぞ」と喜んだりする雲水は接心が何のためにあるのか、果たして弁えているのでしょうか。こうならないよう、それぞれが原点に立ち帰って仏道の如何を参究しなければなりません。

 接心差定を変更するキッカケとなったのは、3年前の師匠の百箇日法要の後に、一緒に修行していた仲間が皆、山を下りたことです。堂頭が替わるとそれまで一緒に修行していた雲水達がその僧堂を離れるのは普通ですし、新しい堂頭が自由に動けるためにも必要なのです。ところが、私の他に新しく入ってきたばかりの参禅者が1人だけいて、堂頭は坐禅を一緒に坐り指導もし、作務も一緒にこなし、典座もしなければなりません。当然、禅堂と台所で同時には修行ができませんから、一緒に坐りながら接心の食事も作れる方法を考えなければなりませんでした。そのためには初めて電気の炊飯器を買いました。それまではカマドの火の上で圧力鍋で炊きましたが、出来上がる2時間前に火をつけなければなりませんので、たった2人の叢林では無理でした。ついでに電気レンジも買い、これでおかずを簡単に暖められます。

 接心中は炊飯器でお粥を炊き、おかずは接心前の放参日で全部作って冷蔵記に入れおいて、食事前の15分間の経行中に全部暖めて出しました。作務のある如常の日には一緒に作務し、食事の30分前に一緒に台所で典座をやりました。こうしなければ、坐禅や自給自足のための作務をこなしながら、典座をすることは不可能でした。接心中の食事を3食から2食へ減らした理由の一つもここにあります。堂頭としての2年目にようやく従来の典座ローテーションに戻ることが出来ました。一人の雲水は三日交代で典座をし、その間、坐禅にも(夜座だけは1や2くらい坐れます)作務にも参加しません。新しい接心差定が成功したため、ローテーションが復旧した今でも昔と違い接心中は2食、典座も15の中、9くらいは一緒に坐れます。