先日、托鉢中、「本物をつかんで下さい」、といわれました。
堕落した日本仏教に染まれず、お釈迦様の本当の教えを追究しなさい、という意味だろうか。
あるいは、街頭で托鉢している乞食坊主の多くが偽者に見えたのだろうか。
とにかく、励ましとしてありがたく受け止めました。
ところが、本物って一体なんなのでしょうか。
「坊主の丸もうけ」ではなく、本当の仏教の教え・・・そういうものを私たちが学ばなければならないのはたしかですが、どうやってそれをつかめばいいのか。
道元禅師はその答えを
「はなてば手にみてり」
という有名な言葉で表します。つかもうと思っても、つかめるようなものではありません。にぎればかえって逃げてしまいます。手放してみて、初めてそれに気づくことは出来る。仏教の本当の教え、本物の仏法は我々から離れたところにあるのではありません。追い求めて手に入れるものではありません。「さとりたい、さとりたい」ともがいたあげくようやく手にいれた「サトリ」ごときものは、偽物に決まっています。
仏法というものは今の自分の有り様にもうすで表れているはずです。
しかし、私たちはそれに目を向けず、外側にそれを求めますから、「偽物」の世の中しか見ることは出来ません。
本当の仏法は現実そのものであり、そこには「にせもの」も「ほんもの」もありません。この現実を本気になって見つめ、今ここ、本音を生きれば初めて本物の自分になれます。
本物とは、私たちが求めるというよりも、今ここ、私たちから求められているのです。
流転②(2001年10月20日)