『問、悶、聞、門、もん。』

十数年ぶりにmixiにログインした。 2007年02月05日18:13、こんな文章を「日記」に書いていたらしい。 題名『問、悶、聞、門、もん。』

 1)存在とは何か?

2)私が存在しているのか?そもそも「存在とは何か」ということが分からなければ、私の存在も分からないはずだが、もし私が存在していなければ、私の存在も疑問にならないはずだ。ということは、私が存在していると言うこと?

3)私が存在しているのだとすれば、ここに存在している(らしい)私とはなにか?「私」とははたして実在している実物なのか?そうだとすれば、この「私」が物体なのか?この身体なのか?この身体の一部分なのか?脳の一部分なのか?それとも、物体ではなく、「私」という感覚が私なのか?あるいは「考えている私」が私なのか?悩み苦しんでいるのが私なのか?それとも、「私」という思いがそもそも幻なのか?幻なら、私がやはり存在しないということか?

4)私が生きている命とは何か?山や川と同じ命なのか?草木と同じ、動物と同じ命なのか?人と同じ命なのか?違うなら、どこが違う?同じなら、なぜコウモリの世界が私に分からないのか?そもそも、生命とは何か?有限か、無限か?有限なら、有限な命はどこから誕生し、どこへ消えてゆくのだろう?無限なら、なぜ各々の生命体が無常であり、生まれては死んで行くのだろうか?死なない生命体が存在し得るのか?遺伝子工学が進化によって、永遠に死なない人間の誕生は可能になるのか?可能なら、望むべきか?

5)人生に意味などあるのか?なければ、なぜ生きるのか?

6)死とは何か?死ねば「無」になる?生まれ変わる?永遠の命の源に返る?死ななければ分からないのか?

7)時間とは何か?一次元的に、ずっとあっちの方からずっと向こうまでのびてゆく軌道のようなものか?それとも、環になっているのか?それとも、「今」という無の一点なのか?どうして過去が決定しているのに、未来が決定していない(ように見える)。どうして「現在」のみが現在している?「現在」の長さ、何秒くらい?一秒の何分の一が「現在」なのか?「現在」の「げ」「ん」「ざ」「い」のどちらが現在なのか?過去が本当に決定しているのか、それとも、私が私の過去を作り替えることが出来るのか?歴史は現在の産物に過ぎないのか?未来を私が選べるのか?

8)私に自由な意思があるのか?それとも、「自由」という言葉も一つの幻に過ぎないのか?自由だとしたら、決定論に支配された物理の世界のどこから、この「自由な私」が誕生したか?自由でないなら、何をやっても責任がないのか?右へすすもうか、左へすすもうか、思い悩む必要はないのか?その必要がそもそもなかったとすれば、どうしてこうして悩んでいるのか?

9)意識とは何か?どうして私がロボットではなく、意識を持った「私」なのか?どうして考えているのか?

10)これらの疑問はどこからわき上がってくるのか?どうして疑問に思うのか?どうして?

(終わり・・・ 懐かしい。)

https://twitter.com/MuhoNoelke/status/1287360054346170368より引用)