坐禅&勉強会(『正法眼蔵・随聞記』29)

資料:https://drive.google.com/file/d/1AjofJQ4YOlbN5-Q_V9uT8v5jm5ScmUnh/view?usp=sharing

師は南天竺の刹利種なり、大國の皇子なり。大國の王宮、その法ひさしく慣熟せり。小國の風俗は、大國の帝者に爲見のはぢつべきあれども、初祖、うごかしむるこころあらず。くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支の訕謗を救せず、にくまず。光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。かくのごとくの功徳おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三藏および經論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。あるいはおもふ、禪宗とて一途の法門を開演するが、自餘の論師等の所云も、初祖の正法もおなじかるべきとおもふ。これは佛法を濫穢せしむる小畜なり。『正法眼蔵・行持』

もろもろの二乗の小見および経論師の三蔵等は、この六祖の道を驚疑怖畏すべし。もし驚疑せんことは、魔外の類なり。『正法眼蔵・仏性』

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