典座教訓 (https://eiheizen.jimdofree.com/%E5%85%B8%E5%BA%A7%E6%95%99%E8%A8%93/)
觀音導利興聖寶林禪寺比丘道元撰
…米を淘えり菜等を調へ、自らの手にて親しく見、精勤誠心にして作せ。一念も踈怠緩慢にし、一事を管看かんかんし、一事をも管看すべからず。
功徳海中に一滴も也また譲ること莫く、善根ぜんごん山上、一塵も亦た積む可きか。
『禪苑清規』に云く、「六味精せず、三徳給せずば、典座の衆に奉する所以ゆえんに非ず」と。
先づ米を看て便ち砂を看る。先づ砂を看て便ち米を看る。審細に看來り看去りて、放心すべからず。自然に三徳圓滿し、六味倶に備る。
雪峰せっぽう、洞山に在りて典座と作なる。一日、米を淘る次で、洞山問ふ。
「砂を淘り去りて米か、米を淘り去りて砂か」。
峰云く、「砂米一時に去る」。
洞山云く、「大衆、箇の什麼をか喫す」。
峰、盆を覆却ふくきゃくす。
山云く、「子、佗後、別に人に見まみえ去ること在あらん」と。
上古有道の高士、手して自ら精し至り、之れを修すこと此の如し。後來の晩進、之れを怠慢すべきや。先來云ふ、「典座は絆ばんを以て道心となす」と。米砂誤りて淘り去ること有るが如きは、自ら手して檢點す。
『清規』に云く、「造食の時は須く親く自ら照顧し、自然に精潔となる」と。其の淘米とうべいの白水を取り、亦た虚く棄ず。古來、漉白水嚢ろうはくすいのうを置く。粥米と水とを辨じ、鍋に納れ了り心を留めて護持し、老鼠ろうそ等をして觸誤し、竝に諸色の閑人の見觸せしむること莫れ。
粥時の菜を調へ、次に今日齋時の所用の飯羮はんこう等を打併たへいす。盤桶ばんつう、並に什物調度し、精誠浄潔に洗灌し、彼此ひし、高處に安ずべきは高處に安じ、低處に安ずべきは低處に安ず。高處は高平、低處は低平。梜杓きょうしゃく等の類、一切の物色、一等に打併し、眞心に物を鑑し、輕手に取放し、然る後に、明日の齋料を理會りえす。先づ米裏に蟲有るを擇び、緑豆、糠塵、砂石等、精誠に擇び了る。米を擇び菜等を擇ぶ時、行者あんじゃ諷經し竈公そうこうに囘向す。
次に菜羮さいこうを擇び物料を調辨す。庫司くすに隨て打得す所の物料は、多少を論ぜず、麤細そさいを管せず、唯だ是れ精誠に辨備するのみ。切に忌む、色を作し口に料物の多少を説くことを。
竟日通夜ひねもすよもすがら、物來りて心に在り、心歸して物に在り、一等に佗と精勤辨道す。
(A: 舒州浮山の法遠禪師と、越州天衣山の義懷禪師と衆に在る時、特に往いて參扣(さんこう)す。正に雪寒に値ふ。省訶罵驅逐す。以至(しかのみならず)水を將つて旦過に溌ぐ、衣服皆濕ふ。其の佗の僧は皆怒つて去る。唯だ遠と懷とは敷具を併疊し衣を整へ、復た旦過の中に坐す。省、到つて呵して曰く、儞更に去らずんば、我儞を打たん。遠、近前して云く、某二人、數千里特に來つて和尚の禪に參ず、豈に一杓の水の溌ぐを以て之れ便ち去らんや、若し打殺せるるとも也(ま)た去らじ。省笑つて云く、儞兩箇は參禪を要す、却(かへ)り去つて掛搭せよと。續で遠を請して典座に充つ。衆其の枯淡に苦しむ。
省偶(たまたま)莊に出づ、遠鑰匙(やくし)を窃み油麺を取り、五味粥を作つて熟す。省忽ち歸つて赴堂す。粥罷堂外に坐し、典座を請しむ。遠至る。省云く、實に油麺を取つて煮粥すや。
情(まこと)なり。願くは乞ふ和尚責罰せよ。省所直(しよじき)を算し衣鉢を估り還し訖らしめ、打つこと三十拄杖して、院を出だす。
遠市中に舍し、道友に託して解免(げめん)せんとす。省允さず。又曰く、若し歸ることを容さずんば、祇(ただ)乞ふ衆に隨つて入室せんと。省亦允さず。省一日街に出づる次で、遠の獨り旅邸の前に立つを見て、乃ち云く、此れは是れ院門の房廊なり、儞此に在つて住すること許多の時ぞ。曾て租錢すや否や。所缺を計りて追取せしむ。遠難ずる色無し。市に持鉢し、錢と化して之を送る。省又一日街に出で之が持鉢するを見る。歸つて衆の爲に曰く、遠は眞に參禪に意有りと。遂に其を呼んで歸らしむ。
…中に就いて遠典座の心操、學せずんばあるべからず、千載の一遇なり。賢不肖共に及び難き者なり。然れども典座若し遠公の志氣を經ずんば、學道爭(いかでか)佛祖の堂奧に逮得する者ならんや。上來の典座は皆是れ佛海の龍象、祖域の偉人なり。今是の如き人を求むるに、世界に得べからず。『知事清規』)
(B: 石霜山慶諸禪師、潙山の法會に抵つて米頭と爲る。一日、師、米寮内に在つて米を篩(ふる)ふ。潙山云く、施主物、抛撒すること莫れ。霜云く、抛撒せず。潙山、地上に於いて一粒を拾得して云く、汝抛撒せずと道ふ、這箇は是れ什麼の處よりか得來る。師、無對。潙山又云く、這の一粒子を欺くこと莫れ、百千粒は這の一粒より生ず。師曰く、百千粒は這の一粒より生ず、未審(いぶかし)這の一粒什麼の處より生ず。潙山、呵呵大笑して方丈に歸る。晩後上堂して云く、大衆米裏に蟲有り。『知事清規』)
(C: 君見ずや 絶学無為の閑道人 妄想を除かず真を求めず 無明の実性即仏性 幻化の空身即法身…『証道歌』)
(D: また四枚の般若あり。苦・集・滅・道なり。『正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜』)
(E: 諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。『正法眼蔵 現成公案』)