正しい坐り方、その16「坐禅における足の組み方」 (大人の修行㊱)

 4月号には二つの点を問題にしました。一つは、足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか、という問題です。沢木老師は「指先が腿の外側に達せしめると云ふ氣持になると深くのせることが出来る」と言われます。そして私も、可能であれば、足の指先が実際に太腿の外側まで来るように、工夫した方がいいと思います。そうすれば、両膝と尾てい骨は正三角形の形になり、一番安定した姿勢で坐禅が組めます。そして、身体の姿勢が安定をすれば、心も安定してきます。
 足をそこまで組めない人はもちろん、組める範囲で組んでもらえば結構ですが、その気になって徐々に工夫をすれば、少しずつ形通りの結跏趺坐あるいは半跏趺坐は組めるようになると思います。

 ところが、坐禅の説明書の写真やパンフレットのイラスト、インターネット上の情報や実際の仏像などを見てみますと、色々な坐り方があり、足の組み方もまちまちです。たとえ、同じく「指先は腿の外側に達するように」と書かれていても、全く達していない中途半端な坐り方が多いようです。以下、それらの写真やイラストを見てみたいと思います。写真をクリックすると大きくなります。

坐禅における足の組み方

沢木興道著
「禅談」より
坐禅における足の組み方

沢木興道著
「「坐禪の仕方と心得」」より

 左のイラストは先月も見ました沢木興道著「禅談」よりです(老師ご自身のスケッチ?)。なるほど、足の指先は腿の外側に達していて、いい見本となっています。少し気になるのは、身体を真っ正面から見ているのに、顔だけが横を向いている点と、親指が山の形をなしている点です。また、肩にもじゃっかん力が入っているようですが、上半身が右側へ傾いていて、今にも居眠りに落ちそうです。右のイラストは沢木老師のもう少し古い「坐禪の仕方と心得」(『曹洞宗行持の仕方叢書』第6巻、国書刊行会)から取ったものです。絵は下手ですが、もう少しシャンとしています。

坐禅における足の組み方

内山興正著
坐禅の意味と実際」より

 これも先月見ました、内山老師の手によるイラストです。骨組みを丸見えにさせている老師の論理的・分析的なアプローチが伺えます。こちらも足は深くのっていて、両膝と尾てい骨はたしかに正三角形になっています。ただ、せっかく分かりやすく描かれているのに、このイラストでは腰の入れ方が全く分かりません。といいますか、腰は入っていないように見えます。また、こちらも肩には不自然な力が入っているのではないでしょうか。そしてなぜか、身体が骸骨になっているのに、首より上だけは風船のように膨らんでいて、頭が今にも身体から浮き上がってくるのではないか、見ている方は心配になります。

坐禅における足の組み方

英訳「坐禅の意味と実際」
Opening the hand of thought より

 内山老師のイラストの欠点を改善するためか、「坐禅の意味と実際」の新しい英語版(「Opening the Hand of Thought」2004年)には左のイラストが使われています。しかし、よく見ればさらにひどくなっていると言わなければなりません。まず、沢木老師も内山老師も、「左足が上」という原則的な坐り方で書いているのに、こちらはなぜか右足が上になっています。それはまだいいとして、右膝が前にでて、右手が下にさがって、法界定印が右にたれているのに、上半身はやや左へ傾いています。そして足ののせ方ですが、右も左も半分しか太腿に乗っかかっていません。それでは、少し時間がたてば、すぐにでも足がずるずると下に落ちそうです。足は正三角形どころか、よく見ればちゃんとした二等辺三角形にすらなっていません。足の組めるモデルがいなかったとしても、イラストレータはどうしてもう少し工夫をして、きちっとした坐禅を描かなかったのでしょうか。これでは全く参考になりません。

坐禅における足の組み方

英訳「坐禅の意味と実際」
Opening the hand of thought より
坐禅における足の組み方

英訳「坐禅の意味と実際」
Opening the hand of thought より

 親切心からか、同じ英語版には坐蒲を用いた正座の仕方と、イスの上の坐禅のイラストものっています。足の組めない方には、そういう心遣いも有り難いでしょうが、背もたれにもたれることだけは避けたいものです。そしていずれもよく見れば、アゴが引けていなくて、沢木老師の言う「顔の勾配」は全くピントが合っていません。これは上の男性の表情も同じですが、夢を見ているようにしか見えません。沢木老師でなくても、「だらりと睡たさうな顔をするではないぞ、綿屑みたいな疲れた顔をしているのはみっともない!」とカツを入れたくなります。

坐禅における足の組み方 坐禅における足の組み方

 同じことは曹洞宗の公式パンフレットに使われているこのイラストについてもいえます。左の方はなぜか上目遣いなのか、上の空なのか、よく分かりません。左足はちゃんと太腿の上まで上がっているのに、右足は半分しか上がっていません。そして、左右搖振(右・坐禅に入る前に身を左右に動かすこと)の際には、右足はやはりもうほとんど太腿から滑り落ちています。座布団もどこかへ消えてしまいました(それともモデルさんが空中浮揚?)。

坐禅における足の組み方

曹洞宗発行
Shikantaza より

 上の写真は以前、曹洞宗から出版されていた英字の坐禅入門書「Shikantaza」(今は絶版)の中のものです。その横のテキストにも、上のパンフレットの中にも、「足の指先は太腿の外側に達するように」とハッキリと書いてあるのに、全くそのとおりにはなっていません。ひょっとしたら、上のパンフレットのイラストの原型となったのはこの写真ではないでしょうか。なにしろイラストと同様、右足は上がらず、窮屈そうに見えます。無理矢理に結跏趺坐を組まされているモデルさんがかわいそうな気がします。これは坐禅ではなく、虐待です。

坐禅における足の組み方 坐禅における足の組み方

 左は「Shikantaza」が絶版になって、新しく出た曹洞宗坐禅入門書の中の写真。今回は日本のプロの雲水さんに坐禅を組んでもらいましたが、右足はやはり上がりません・・・。この写真は曹洞宗公式サイトの国際版でも使われています。日本語版の「坐禅の作法」にはなぜか写真ではなく、右のイラストです。足が窮屈で溜まりません。胴体も右の方へ傾いています。明らかに上の「虐待写真」をそのまま写したものです。

坐禅における足の組み方 坐禅における足の組み方

 もっとすごいのは「人間禅」という在家修行の教団のHPにあります、左の「結跏趺坐」の写真です。足は上がっておらず、右膝は畳の上、左膝は宙に浮いているという具合です。右の上半身の写真を見ても、不自然な坐り方です。

 生身の人間が実際に坐ると、それぞれに癖があり、なかなかきれいな坐相にならないのは致し方ありません。あるいは色々な障害や怪我のせいで、「マニュアル通り」の坐禅はできないかもしれません。無理に結跏趺坐や半跏趺坐を組む必要もありませんので、例えイスの上でもその人に合った姿勢で工夫して坐ってもらえばいいと思います。ただ、その人が自分の身体の癖を自覚して工夫をするのと、無自覚に歪んだ坐り方をすること、あるいはたんに楽な方へと姿勢を崩すのと、天と地の差があります。

 今回問題にしているのは、いくら生身の人間だからといって、写真にとって坐禅の見本とした場合はもう少し理に適った写真を選んだ方がいいでしょう。言葉による坐禅の説明と写真やイラストが相反すると、その写真やイラストの意味がないからです。いや、坐禅の入門者は言葉による説明よりむしろ写真の方が分かりやすく信用しやすいですので、変な写真やイラストのせいでせっかくの「正しい坐禅の仕方」も台無しになってしまいます。

 批判ばかりでは済まないと思いますので、最後に足を組んでみました。これくらいなら、足の指は太腿の外側に達し、両膝と尾てい骨はだいたい正三角形になるのではないかと思います。

坐禅における足の組み方 坐禅における足の組み方