2007-01-01から1年間の記事一覧

オウムから10年⑲「安泰寺での修行生活とその諸問題について」

「オウム事件から10年」という題で、このシリーズを書き出してから3年が経とうとしています。「10年」ではなく、もほや「13年」になろうとしています。第一回目では「禅宗はその間、何を・・・?」という問いから出発し、まず臨済宗と黄檗宗でオウム…

正しい坐り方、その17「足の組み方」 (大人の修行㊲)

7月号では、坐禅を組むときに「足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか」ということを問題にしました。そのときの結論は「可能であれば、足の指先が実際に太腿の外側まで来るように、工夫した方がいいと思います。そうすれば、両膝と尾てい骨…

オウムから10年⑱「大人の修行という考え方」

接心が終わった後のティーミーティングでよく言います、「これで接心が終わったと思うのは大間違いだ、ほっとして気が抜けたときが一番危ない。本当の接心は今から始まるのだ」。 一日十五時間ぶっ続けて坐るのは決してたやすいことではありませんし、五日間…

オウムから10年⑰「スキンシップ」

6月と7月は京阪神方面の三カ所で話をさせていただく機会に恵まれました。普段、寺に修行をしに上山した参禅者を相手にしか話をしていませんので、一般の方々にどんな話をしたらよいか、私たちがひごろ山の中で参学・弁道しようとしている教えが街の人たち…

正しい坐り方、その16「坐禅における足の組み方」 (大人の修行㊱)

4月号には二つの点を問題にしました。一つは、足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか、という問題です。沢木老師は「指先が腿の外側に達せしめると云ふ氣持になると深くのせることが出来る」と言われます。そして私も、可能であれば、足の指…

オウムから10年⑯「執着の環」

日本の既成仏教の堕落の一原因として、僧侶の妻帯を取り上げています。日本仏教にとっても、仏道修行道場である安泰寺での私自身の生活においても、家族を持つことはどうして問題であるかを説明する前に、仏道修行者であると同時に、親であり配偶者であるこ…

正しい坐り方、その15 (大人の修行㉟)

沢木興道著「禅談」より 内山興正著「坐禅の意味と実際」より 内山興正著「坐禅の意味と実際」の英訳より 最後に「大人の修行」の中の「正しい坐り方」について書いたのは、今からちょうど1年前のことです。これから肝心な「坐禅の身構え」に入ろうとしてい…

国境なき修行団体

オウムから10年⑮「坊主の妻帯」

オウム事件からもはや12年間がすぎようとしています。この事件の背景には日本仏教の堕落があるということはできます。もしお坊さんがひごろ仏の教えを一般の人々に身を以て説いてさえいれば、この事件は起きてこなかったと、私は信じています。さて、そも…

オウムから10年⑭「仏道との出会い(IV)」

私がドイツの高校を卒業して、直接に日本に渡り禅僧になるべきか、まず大学を経てから日本の寺に入門すべきか、しばらく悩みました。ドイツでは小学校に入学してから高校を卒業するまで13年間かかります。日本やアメリカより一年間長いですから、高校を卒…