2011-01-01から1年間の記事一覧

弟子がバカなら、師匠もバカ

機は良材の如く、師は工匠(こうしょう)に似たり。縦(たと)え良材たりと雖も、良工を得ずんば、奇麗(きれい)未だ彰(あら)われず。縦え曲木たりと雖も、若し好手に遇わば、妙功忽(たちま)ち現ず。(学道用心集) 仏教の中にもいろいろな宗派があり、…

水増しをしても、混ぜ物はするな

かの合水の乳なりとも、乳をもちゐん時は、この乳のほかにさらに乳なからんには、これをもちゐるべし。たとひ水と合せずとも、あぶらをもちゐるべからず、うるしをもちゐるべからず、さけをもちゐるべからず。(正法眼蔵・袈裟功徳) お袈裟の作り方、つけ方…

「やくざ大歓迎」宣言 ーサバイバル・レッスン (Part 6)

日本仏教のある宗派の本山は、この間、権力側から「指定暴力団」というラベルを貼られているやくざの組の参拝を拒否したそうです。組の歴代の組長の位牌はその本山に安置されているようですが、今後はその位牌に参拝しないでくれ、とのことだそうです。その…

稽古慕道とは?

監院の職は為公これ務む。いわゆる為公とは無私曲なり。無私曲とは稽古慕道なり。慕道は以って道に順うなり。 (知事清規) 去年の秋の彼岸に、永光寺という曹洞宗の名刹で行われた坐禅会の講師としてよばれた。二泊三日の小旅行である。道中の大阪で、寺か…

少欲・知足

知足の人は、地上に臥すと雖も猶安楽なりと為す。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦意に称わず。不知足の者は、富むと雖も而も貧しし。知足の人は、貧ししと雖も而も富めり。 (正法眼蔵・八大人覚) 今から十年前、二〇〇一年の夏のことです。師匠の許(も…

ピーター・バラカンさんが安泰寺を訪れる

番組「ベギン・ジャパノロジー」が但馬の坐禅道場を訪問。堂頭のネルケ無方は坐禅や叢林生活について説明している。師弟の問答の場面も・・・ 「安泰寺をオマエが創るのだ」 「オマエなんか、どうでもいい!」

残す人。残される人。それを端から眺める人。 ーサバイバル・レッスン (Part 5)

今回、日本を襲った悲劇的な大震災で、貴女がまだ日本に残していた物へも多少は影響があったのはないでしょうか。それより、なにより、かわいそうなアサさんは大切な友人や家族と連絡が取れたのでしょうか。今回の震災は、大きく大地を揺さぶり、人々をも動…

わたし次第、あなた次第

仏道をならふというは、自己をならふ也(なり)。自己をならふというは、自己をわするる也。(正法眼蔵・現成公案) 永平寺の後開山、道元禅師の言葉の中でももっとも有名な一節です。「仏道(ぶつどう)」とは二千五百年前に釈尊が開かれた悟りの内容です。…

逃げる人。逃げない人。ゆずる人。ゆずらない人。ー サバイバル・レッスン (Part 4)

なぜ日本にいるの?いつドイツに帰るの?それとも日本に骨でも埋めるつもり? たまにそういうふうに聞かれることがあります。 私が日本にいる理由は簡単です。日本が好きだからです。 日本がすきということは、日本の豊かな自然がすきだとか、日本の美味しい…

分かっている人、分からない人。学ぶ人、学ばない人。 ーサバイバル・レッスン (Part 3)

大学時分、私に一番大きな影響を与えてくれた先生の専門はカントの哲学でした。先生は講義のときに、【純粋理性批判】のテキストを読みながら、「ここが分からない、あそこも、何回読んでも、やはり分からない」と、私たち学生を前にして公言しました。さぁ…

起きる人、起きない人 -サバイバル・レッスン (Part 2)

「サバイバル・レッスン」の二弾目です。今年の一月に「サバイバル・レッスン(Part 1)」を書いていたときには、こんなに急に日本人のサバイバルが切実な問題になると、私も思っていませんでした。 しばらく前に、「30年後の日本から難民は出る」とテレビで…

共生できる文化、共生できない文化 ーサバイバル・レッスン (Part 1)

安泰寺に初めて上山した1990から、もはや20年が過ぎました。安泰寺の堂頭になって、10年目になろうとしています。 最近、地方の団体に講演に呼ばれる機会が多くなりました。「外国人の目から見たニッポン」といったようなテーマがメインです。ところ…