オウムから10年

ご無沙汰しています

最後に「火中の連」をアップデートしてから半年間が過ぎてしまいました。この間、英語では A broken precept 「破戒 (オウムから13年・その19)」 Crossing the legs (6) 「足の組み方(6)(大人の修行・その40)」 Danka-seido 「檀家制度 (オウムから…

オウムから10年⑲「安泰寺での修行生活とその諸問題について」

「オウム事件から10年」という題で、このシリーズを書き出してから3年が経とうとしています。「10年」ではなく、もほや「13年」になろうとしています。第一回目では「禅宗はその間、何を・・・?」という問いから出発し、まず臨済宗と黄檗宗でオウム…

オウムから10年⑱「大人の修行という考え方」

接心が終わった後のティーミーティングでよく言います、「これで接心が終わったと思うのは大間違いだ、ほっとして気が抜けたときが一番危ない。本当の接心は今から始まるのだ」。 一日十五時間ぶっ続けて坐るのは決してたやすいことではありませんし、五日間…

オウムから10年⑰「スキンシップ」

6月と7月は京阪神方面の三カ所で話をさせていただく機会に恵まれました。普段、寺に修行をしに上山した参禅者を相手にしか話をしていませんので、一般の方々にどんな話をしたらよいか、私たちがひごろ山の中で参学・弁道しようとしている教えが街の人たち…

オウムから10年⑯「執着の環」

日本の既成仏教の堕落の一原因として、僧侶の妻帯を取り上げています。日本仏教にとっても、仏道修行道場である安泰寺での私自身の生活においても、家族を持つことはどうして問題であるかを説明する前に、仏道修行者であると同時に、親であり配偶者であるこ…

オウムから10年⑮「坊主の妻帯」

オウム事件からもはや12年間がすぎようとしています。この事件の背景には日本仏教の堕落があるということはできます。もしお坊さんがひごろ仏の教えを一般の人々に身を以て説いてさえいれば、この事件は起きてこなかったと、私は信じています。さて、そも…

オウムから10年⑭「仏道との出会い(IV)」

私がドイツの高校を卒業して、直接に日本に渡り禅僧になるべきか、まず大学を経てから日本の寺に入門すべきか、しばらく悩みました。ドイツでは小学校に入学してから高校を卒業するまで13年間かかります。日本やアメリカより一年間長いですから、高校を卒…

オウムから10年⑬「仏道との出会い(III)」

坐禅との出会いは、長い間忘れていた「からだ」の発見から始まりました。「私が身体を持っている」というより「この身体が私」という気づきです。 当時参加していた坐禅サークルのメンバーは私の寮の先輩や同輩15人ほどでした。週に何回か夕方で坐禅が行わ…

オウムから10年⑩「『本当の仏教』とは?」

オウムが一時期「日本の既成仏教よりはるかにまじめな仏教」と日本の宗教学者に認められていた一方、「本当の仏教」ほど幻想のふくらんだ妄想がないのも事実です。がしかし、お坊さんの役割が葬式の一環、それ以上でも以下でもない、というのもどうかと思い…

オウムから10年⑨「私の仏教理解」

「オウムが仏教ではない」といわれれば、(オウム以外の)仏教徒なら誰でもうなずくはずです。ところが、オウムを異端視しているその張本人がどうか、という問題もあります。そして、そもそも「仏教とは何か」ということがハッキリしなければ、手も足も出ま…

オウムから10年⑧「本当の問題は、オウムではない」

「オウム真理教の教えは一見仏教的ですが、・・・決して仏教であるとは言えません。・・・インドの思想を底流にしながら様々な宗教の教えを取り込みつつ、日本人にも馴染みの深い仏教的な観念を現代風にアレンジしたもの、といえます。」 曹洞宗の曹洞禅ネッ…

オウムから10年⑥「真髄から腐ってしまった禅宗」

オウムの一般信者を「『日常底』において受け入れるのを基本とする」ことから臨黄教団のシンポジウムが出発しました。そして「その対応は、現在彼らが精神的社会的に抱えている特殊事情をよく配慮して彼らのためにも慎重になすべきであるが、基本的には、檀…

オウムから10年 ③「近代への挑戦としてとらえたサリン事件」

『「われわれ」は、・・・「オウム事件」を通して現代という時代にひそむ文化的・ 社会的な病巣を見てきた。「オウム事件」はいずれ終息をむかえるであろう。しかし、それで「オウム事件」によって暴露された現代の病巣が根本的に切除されるわけではない。我…