大人の修行

『ただ坐る』、何の役にも立たない坐禅入門

ここ数年、「火中の蓮」の中で坐禅について書いた文章を中心に、一冊の坐禅入門をまとめることになりました。6月中に、 「ただ坐る――生きる自信が湧く 1日15分 坐禅」という題で光文社新書から発行される予定です。去年の「迷える者の禅修行」、今年の4…

手を組む (大人の修行㊶)

左側通行は自然摂理? 足の場合は、長時間坐ると相当な痛みを伴うため、組み替えるといいと思いますが、手は痛くもかゆくもならないから、私も二十年間以上、道元禅師の指示通り、左手を上にして坐ったのです。ところが数年前から私は足を坐禅儀のとおりに組…

正身端坐 (大人の修行㊷)

正身端坐というあり方 正身端坐すべし。ひだりへそばだち、みぎへかたぶき、まへにくぐまり、うしろへあふのくことなかれ。かならず耳と肩と對し、鼻と臍と對すべし。 (姿勢を正して、まっすぐに坐ること。右や左へ、前や後ろへ傾いたりしないこと。耳と肩…

命を噛み締める

住職になる 堂頭さんの葬儀は二月十六日に浜坂のホールで執り行われました。「次の堂頭が決まるまで、お前が安泰寺でしばらく留守番しろ。どうせ暇なんだろ」と覚玄さんに言われました。この「留守番」が何を意味をするのも、全く知らずに・・・本当は誰も堂…

黙って十年

安泰寺へのこす言葉 二〇〇一年一月の下旬、身を切るほど寒い朝のことです。 「ちょっと方丈まで来い」 久しぶりに師匠の面接に呼ばれました。方丈の窓には花模様の氷が一面につき、その向こうには雪が高さ三メートルあろう壁を作ったので昼間でも室内は薄暗…

臨済宗に遊山(その3)

松葉杖 その後の僧堂は年末のさまざまな行事で忙しかったのです。二十六日の夜は「冬夜」といい、年に一度だけ行われる無礼講がありました。「無礼講」とはいっても、この日だけ先輩に気を使うことなく羽目をはずしてしまえば、後が知られます。この時も高単…

臨済宗に遊山(その2)

夜坐の指導(続き) 涙を流しながら薄暗い庭を睨みました。「いずれは絶対、見返してやる」かなうはずもないのにライバル意識に火をつけ、貧しかった私の感情を芽生えさせてくれたことに感謝すらしました。「あいつらなんかに負けるものか」星で埋め尽くされ…

臨済宗に遊山(1)

掛搭志願 「たのーみまーしょー」、京都のある臨済宗本山の玄関先で腹の底から声を絞り出したのが一九九五年の十月でした。その日の朝六時過ぎに、雲一つも浮かばない秋空の下で網代笠を手に持って参道を登った時、庭掃除をしていた相撲取りのような体をした…

ご無沙汰しています

最後に「火中の連」をアップデートしてから半年間が過ぎてしまいました。この間、英語では A broken precept 「破戒 (オウムから13年・その19)」 Crossing the legs (6) 「足の組み方(6)(大人の修行・その40)」 Danka-seido 「檀家制度 (オウムから…

正しい坐り方、その17「足の組み方」 (大人の修行㊲)

7月号では、坐禅を組むときに「足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか」ということを問題にしました。そのときの結論は「可能であれば、足の指先が実際に太腿の外側まで来るように、工夫した方がいいと思います。そうすれば、両膝と尾てい骨…

正しい坐り方、その16「坐禅における足の組み方」 (大人の修行㊱)

4月号には二つの点を問題にしました。一つは、足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか、という問題です。沢木老師は「指先が腿の外側に達せしめると云ふ氣持になると深くのせることが出来る」と言われます。そして私も、可能であれば、足の指…

正しい坐り方、その15 (大人の修行㉟)

沢木興道著「禅談」より 内山興正著「坐禅の意味と実際」より 内山興正著「坐禅の意味と実際」の英訳より 最後に「大人の修行」の中の「正しい坐り方」について書いたのは、今からちょうど1年前のことです。これから肝心な「坐禅の身構え」に入ろうとしてい…

正しい坐り方、その14「坐所の整え方」 (大人の修行㉞)

「禅談」の附録「正しい坐禪の仕方」では、「衣服の整へ方」に続いて「坐所の整え方」と「坐禪の身構え」という項目があります。澤木老師がこう説明しています。 坐所の整え方 イ)坐る所には敬虔な心を持って臨まねばならぬ。 ロ)坐る所は坐褥(普通の角蒲…

正しい坐り方、その13「お袈裟の意味」 (大人の修行㉝)

搭袈裟偈大哉解脱服「だいさいげだっぷく」無相福田衣「むそうふくでんえ」被奉如来教「ひぶにょらいきょう」広度諸衆生「こうどしょしゅじょう」 我々が毎朝、暁天坐禅が終わって唱えている偈です。先月もお袈裟について書きました。「解脱服」としてたたえ…

正しい坐り方、その12「窮屈袋に礙(さまた)げられて」 (大人の修行㉜)

澤木老師の「正しい坐禪の仕方」の「身體の整へ方」の次は、「衣服の整へ方」です。 イ)しわになったり汚れたりすることが氣になる様な着物や、特に美しい着物或は垢がついてヒヤリとする様な着物、或は厚着、薄着を避けること。 ロ)衣服はキチンと着けて…

正しい坐り方 、その11「乳搾り」 (大人の修行㉛)

沢木老師は身體の整え方の最後に「坐禅にかゝる前に目を洗ひ、足を洗って、爽やかな氣持になって道場に入るがよい」といっています。 瑩山禅師の「坐禅用心記」にも「常に目を濯ひ足を洗ひ身心閑静なるべし」 とありますが、目はよく禅における「悟り・証」…

正しい坐り方、その 10「どうしてこんなに忙しいのだろうか?」 (大人の修行㉚)

禅の叢林において、生きるために働いているのか、働くために生きているのか、ということはそもそも問題外です。働くこと自体が生きることの表現でなければならないからです。我々が日々こなしている自給自足の作務は決して生きるための単なる手段に成り下が…

正しい坐り方、その 9「生きるために働いているのか?働くために生きているのか?」 (大人の修行㉙)

坐禅について「極度に疲勞してゐる時は避ける方がよい」と沢木老師がいっていますが、私たちはなぜ疲労を感じているかがそもそもの問題です。必要以上に疲れを感じるのは、私たちの働く姿勢に原因があるのではないでしょうか。「働く」とは何か、また「休む…

正しい坐り方 、その8「いつ、何を食べるか」 (大人の修行㉘)

ドイツでは食事について「朝は騎士のように、昼は王様のように、夜は乞食のように」ということわざがあります。要するに、これから仕事をしようとする時の朝ご飯と、仕事中の一休みである昼ご飯だけはしっかり食べなさい、という意味です。仕事が終わって、…

正しい坐り方、その 7「三分の中に二分を食す」 (大人の修行㉗)

先月は昔の安泰寺と新しい安泰寺の接心差定を比較しました。坐禅は1炷増え、食事は3食から2食へ替わった所を見ますと、かなり厳しくなったようにも受け取れますが、実は逆に楽になったのです。旧差定では14炷のうち4炷は60分間、7炷は50分間でし…

正しい坐り方 、その6「おもちゃのない接心」 (大人の修行㉖)

瑩山禅師の「坐禅用心記」の「海邊酒肆婬房寡女處女妓樂の邊、並びに打坐すること莫かれ。・・・深山幽谷之に依止すべし。緑水青山、是れ経行の處、渓邊樹下、是れ登心の處なり」という部分を読んでも分かるように、坐禅は何も室内に限られたものではありま…

正しい坐り方、その5「忍辱の婆羅蜜としての坐禅 」(大人の修行25)

どこで坐禅しようが、忍辱の婆羅蜜(苦しみを受け入れること、俗で言う「辛抱」に当たる)としての坐禅をする機会はいくらでもあります。3年前、私が安泰寺の住職になったとき、これといって以前と大きく変えた事はありませんでした。変えた事の一つと言え…

正しい坐り方、その4「あらゆる地図を手放すための地図」( 大人の修行㉔)

「Soto Zen」という曹洞宗宗務庁が出している英語の本の中では、奥村正博老師は「坐禅は私たちの持っている歪んだ『地図』を直すことではなく、あらゆる『地図』を手放すことだ」と言っています。 先月はここで問題にしている「坐禅の仕方・正しい坐り方」を…

正しい坐り方、その3「坐禅を好きになること」 (大人の修行㉓)

先月号で引用しました「坐禅の仕方」を地図に例えるならば、かなりおおざっぱな地図だったといえると思います。こういった地図を非常に注意深く扱わなければ、どこかの落とし穴に陥ってしまうのは間違いないでしょう。しかし、同じ沢木老師の手によるもっと…

正しい坐り方、その2「綿屑みたいな顔はみっともない!」 (大人の修行㉒)

いよいよ坐禅の実際のやり方です。現代人は物事をなんでもマニュアル化したがっているようですが、それに対し去年の9月号ではあえて「坐禅にはマニュアルがありません」と申し上げました。ところが実のところ、昔から修行全般のマニュアルも、坐禅のマニュ…

正しい坐り方 (大人の修行㉑)

今年は暖冬で、安泰寺でもほんの数日前に初雪が降りました。ここでは冬の間の寒い時期には気温は建物の中でさえ氷点下近くまで下がります。この間、直堂という起床時に鈴を振って廊下を駆け抜ける係の雲水は、他の人よりも30分から1時間早く起きて薪スト…

おさがしものは何ですか (大人の修行⑳)

「心猿意馬」の話の続きです。先月は「管る莫れ、かの心猿意馬に。功夫は猶、火中の蓮の若し。」という道元禅師のお言葉を引用しました。おなじ永平広禄の第五に、さらに 「即心即佛、是、風顛。直指人心、更に隔天…」 とあります。「仏とは心のことだと、気…

心猿意馬 (大人の修行⑲)

先月まで坐禅と坐禅以外の時の修行の心構えについて、「三つの問い」にお答え致しました。何がいいたかったか、一言でいえば「マインドフルネス」(注意深さ、三昧)を忘れること、心そのものを忘れることです。これにビックリした人がいたかもしれません。…

「マインドフル」なお心、 もう忘れてしまいなさい (大人の修行⑱)

先月と先々月は呼吸に対する質問にお答えしました。次の質問は日常生活の中で如何に禅の修行ができるかという問いです。 問: 「座蒲の上で坐る時以外に、例えば日常生活の中で歩いたり、しゃべったり、食事したり、仕事したり、普通に座臥したりするときに…

坐禅運転 (大人の修行⑰)

先月の、「坐禅においてどう呼吸をすべきか・呼吸に集中すべきなのか」という質問に対する答えの続きです。 先月は「呼吸に集中するということは心を落ち着かせるひとつの手だ」と言いました。ところが、坐禅にはマニュアルがありません。「坐禅とはこうする…