2005-01-01から1年間の記事一覧

正しい坐り方、その12「窮屈袋に礙(さまた)げられて」 (大人の修行㉜)

澤木老師の「正しい坐禪の仕方」の「身體の整へ方」の次は、「衣服の整へ方」です。 イ)しわになったり汚れたりすることが氣になる様な着物や、特に美しい着物或は垢がついてヒヤリとする様な着物、或は厚着、薄着を避けること。 ロ)衣服はキチンと着けて…

オウムから10年⑩「『本当の仏教』とは?」

オウムが一時期「日本の既成仏教よりはるかにまじめな仏教」と日本の宗教学者に認められていた一方、「本当の仏教」ほど幻想のふくらんだ妄想がないのも事実です。がしかし、お坊さんの役割が葬式の一環、それ以上でも以下でもない、というのもどうかと思い…

正しい坐り方 、その11「乳搾り」 (大人の修行㉛)

沢木老師は身體の整え方の最後に「坐禅にかゝる前に目を洗ひ、足を洗って、爽やかな氣持になって道場に入るがよい」といっています。 瑩山禅師の「坐禅用心記」にも「常に目を濯ひ足を洗ひ身心閑静なるべし」 とありますが、目はよく禅における「悟り・証」…

オウムから10年⑨「私の仏教理解」

「オウムが仏教ではない」といわれれば、(オウム以外の)仏教徒なら誰でもうなずくはずです。ところが、オウムを異端視しているその張本人がどうか、という問題もあります。そして、そもそも「仏教とは何か」ということがハッキリしなければ、手も足も出ま…

正しい坐り方、その 10「どうしてこんなに忙しいのだろうか?」 (大人の修行㉚)

禅の叢林において、生きるために働いているのか、働くために生きているのか、ということはそもそも問題外です。働くこと自体が生きることの表現でなければならないからです。我々が日々こなしている自給自足の作務は決して生きるための単なる手段に成り下が…

オウムから10年⑧「本当の問題は、オウムではない」

「オウム真理教の教えは一見仏教的ですが、・・・決して仏教であるとは言えません。・・・インドの思想を底流にしながら様々な宗教の教えを取り込みつつ、日本人にも馴染みの深い仏教的な観念を現代風にアレンジしたもの、といえます。」 曹洞宗の曹洞禅ネッ…

正しい坐り方、その 9「生きるために働いているのか?働くために生きているのか?」 (大人の修行㉙)

坐禅について「極度に疲勞してゐる時は避ける方がよい」と沢木老師がいっていますが、私たちはなぜ疲労を感じているかがそもそもの問題です。必要以上に疲れを感じるのは、私たちの働く姿勢に原因があるのではないでしょうか。「働く」とは何か、また「休む…

正しい坐り方 、その8「いつ、何を食べるか」 (大人の修行㉘)

ドイツでは食事について「朝は騎士のように、昼は王様のように、夜は乞食のように」ということわざがあります。要するに、これから仕事をしようとする時の朝ご飯と、仕事中の一休みである昼ご飯だけはしっかり食べなさい、という意味です。仕事が終わって、…

オウムから10年⑥「真髄から腐ってしまった禅宗」

オウムの一般信者を「『日常底』において受け入れるのを基本とする」ことから臨黄教団のシンポジウムが出発しました。そして「その対応は、現在彼らが精神的社会的に抱えている特殊事情をよく配慮して彼らのためにも慎重になすべきであるが、基本的には、檀…

正しい坐り方、その 7「三分の中に二分を食す」 (大人の修行㉗)

先月は昔の安泰寺と新しい安泰寺の接心差定を比較しました。坐禅は1炷増え、食事は3食から2食へ替わった所を見ますと、かなり厳しくなったようにも受け取れますが、実は逆に楽になったのです。旧差定では14炷のうち4炷は60分間、7炷は50分間でし…

正しい坐り方 、その6「おもちゃのない接心」 (大人の修行㉖)

瑩山禅師の「坐禅用心記」の「海邊酒肆婬房寡女處女妓樂の邊、並びに打坐すること莫かれ。・・・深山幽谷之に依止すべし。緑水青山、是れ経行の處、渓邊樹下、是れ登心の處なり」という部分を読んでも分かるように、坐禅は何も室内に限られたものではありま…

正しい坐り方、その5「忍辱の婆羅蜜としての坐禅 」(大人の修行25)

どこで坐禅しようが、忍辱の婆羅蜜(苦しみを受け入れること、俗で言う「辛抱」に当たる)としての坐禅をする機会はいくらでもあります。3年前、私が安泰寺の住職になったとき、これといって以前と大きく変えた事はありませんでした。変えた事の一つと言え…

オウムから10年 ③「近代への挑戦としてとらえたサリン事件」

『「われわれ」は、・・・「オウム事件」を通して現代という時代にひそむ文化的・ 社会的な病巣を見てきた。「オウム事件」はいずれ終息をむかえるであろう。しかし、それで「オウム事件」によって暴露された現代の病巣が根本的に切除されるわけではない。我…

最初のテレビ取材

正しい坐り方、その4「あらゆる地図を手放すための地図」( 大人の修行㉔)

「Soto Zen」という曹洞宗宗務庁が出している英語の本の中では、奥村正博老師は「坐禅は私たちの持っている歪んだ『地図』を直すことではなく、あらゆる『地図』を手放すことだ」と言っています。 先月はここで問題にしている「坐禅の仕方・正しい坐り方」を…

正しい坐り方、その3「坐禅を好きになること」 (大人の修行㉓)

先月号で引用しました「坐禅の仕方」を地図に例えるならば、かなりおおざっぱな地図だったといえると思います。こういった地図を非常に注意深く扱わなければ、どこかの落とし穴に陥ってしまうのは間違いないでしょう。しかし、同じ沢木老師の手によるもっと…

正しい坐り方、その2「綿屑みたいな顔はみっともない!」 (大人の修行㉒)

いよいよ坐禅の実際のやり方です。現代人は物事をなんでもマニュアル化したがっているようですが、それに対し去年の9月号ではあえて「坐禅にはマニュアルがありません」と申し上げました。ところが実のところ、昔から修行全般のマニュアルも、坐禅のマニュ…

正しい坐り方 (大人の修行㉑)

今年は暖冬で、安泰寺でもほんの数日前に初雪が降りました。ここでは冬の間の寒い時期には気温は建物の中でさえ氷点下近くまで下がります。この間、直堂という起床時に鈴を振って廊下を駆け抜ける係の雲水は、他の人よりも30分から1時間早く起きて薪スト…