諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。
萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。
洞山了价「過水の偈」
切忌随他覓(切に忌む他に随いて覓(もとむ)ることを)
迢迢与我疎(はるかに我と疎なり)
我今独自往(我今独り往き)
処処得逢渠(処処に渠と逢うを得)
渠今正是我(渠は今正に是れ我)
我今不是渠(我は今渠に不是ず)
応須与摩会(応に須らく与摩(かくのごと)く会して)
方得契如如(方(はじ)めて如如に契うを得ん)
(「汝これ渠にあらず、渠正にこれ汝」宝鏡三昧
「如来は我なり、されど我は如来に非ず。如来、我となりて我を救いたもう」曽我量深)
『渠今正是我(渠は今正に是れ我)→諸法の仏法なる時節
我今不是渠(我は今渠に不是ず)→万法ともに我にあらざる時節』
正 ⇔ 偏
渠 ⇔ 我(汝)
平等 ⇔ 差別
絶対 ⇔ 相対
無限 ⇔ 有限
現成 ⇔ 公案
仏法 ⇔ 諸法(万法)
色即是空 空即是色
空即空 色是色
無一物 中 無尽蔵
至道無難 唯嫌揀択
天上天下唯我独尊 ⇔ 自未得度先度他