手を組む (大人の修行㊶)

 

左側通行は自然摂理?

 足の場合は、長時間坐ると相当な痛みを伴うため、組み替えるといいと思いますが、手は痛くもかゆくもならないから、私も二十年間以上、道元禅師の指示通り、左手を上にして坐ったのです。ところが数年前から私は足を坐禅儀のとおりに組んだ場合、手を反対に組みます。つまり、右足を上にした場合のみ、私は坐禅儀の指示通り、左手を右手の掌に起きますが、左足が上の場合は、右手を上におきます。作法にうるさい本山の永平寺など、曹洞宗の「中央」ではとても許されそうにない組み方ですが、私はこの組み方が一番理に適っていると思います。
 そう確信するまで、私はいろいろと実験をしてみました。
 「ひょっとして、右手を左手の上に乗せれば、気の持ちようは変わって、もっと積極的な性格になるのかしら。女顔が直って、男らしくなるなんてことは……」
 まぁ、そこまでは期待していませんでしたが、中国のやり方にも何らかの根拠はあるのだろうと、二十年間ずっと上に載せていた左手を右手の下において坐禅をしてみることにしました。最初はかなり違和感を感じたのが事実です。なにしろ、足はともかく手は左が上という固定観念ができてしまっていて、身体もそれに慣れてしまっています。今まで日本で道路の右側を走っていた人がある日、ドイツに渡っていきなり左側を走らされているときに経験する戸惑いと似たような感覚ではないでしょうか。長い間の慣れの影響で、左側通行がどうしても「自然だ」と感じられてしまうのでしょう。頭でそう思うのではなく、身体がそう感じるのです。いうにいわれないような、痒さに近い感覚です。ところが、車の運転も坐禅の手足の組み方も同じですが、右と左を逆転させた状態に慣れてくると、どうということはありません。続ければ、むしろ「右が上」(あるいは右側通行)が自然に感じられるときもあるのです。

 

     

 

女顔はなおらない

 それはともかくとして、左手と右手を組み替えることによって、私の意識が「静」から「動」へ、女々しかった自分の性格がちょっぴりマッチョになった、ということは残念ながらありませんでした。変わったことといえば、冬場の手のしびれ具合です。毎年の十二月に行われる、一年のうちで一番厳しいといわれている臘八接心の時など、堂内の温度は氷点下近くまで下がることもめずらしくありません。正式に右手の上に左手をかぶせると、早朝の坐禅後の朝食の時にはお箸はちゃんと持てますが、寒すぎて左手の感覚が奪われてしまうことがあります。このせいで鉢を持ち上げることさえ難しくなります。逆に、左手を下にして右手を上からかぶせると、今度は右手が寒さでしびれてお箸をおとしてしまうことがあります。
 ただし、そんなことよりも、一つだけ大きな実用的な違いに気づきました。法海定印の安定感です。
 結跏趺坐を組んだときに左足が上に来た場合(いわゆる「降魔座」)、右足のかかとより左足のかかとの位置が高くなるため、左側にくぼみができてしまいます。左手をその中において、その上に右手をかぶせると都合がよく、安定した法海定印が組めることに気づきました。

手の組み方

 逆に、左の足の上に右足が来る「吉祥座」の場合、従来どおりの手の組み方がしっくり来ます。つまり、私は今、足を坐禅儀のとおりに組んだ場合、手を反対に組みます。足を反対に組んだ場合のみ、手を坐禅儀の従来のとおりに組むようにしています。
 曹洞宗でこんな手と足の組み合わせ方をしているのは、ひょっとして私だけかもしれません。日本で右手を上に乗せる雲水はまずいないではないでしょうか。伝統を重んじている雲水は皆、左足を上におき、左手を上におきます。右の写真の弟子丸さんのように、足を組み替えて右足を上にしている人はいてもおかしくありませんが、普段は衣に隠れて見えないのです。 南方系の修行僧は逆に、右手が上です。その理由は同じく、「伝統」です。やはりこれには坐禅の内容に関わる深い理由はなく、単なる文化的・歴史的な違いのためなのでしょう。道元禅師は十三世紀の中国で坐禅を学んだので、中国の風習に従って足に関しても手に関しても、右の上に左を載せる組み方にしか言及しなかったのです。しかし、私たち現代人がそれにこだわる必要もないでしょう。

法海定印を保つ難しさ

 ふたつのおほゆび、さきあひささふ。兩手かくのごとくして身にちかづけておくなり。ふたつのおほゆびのさしあはせたるさきを、ほそに對しておくべし。
 (両方の親指の先を支え合わせて、両手を身に近づけておくこと。そうすれば、支え合っている二つの親指はちょうどへそに向かい合う形になる。)

 右・左の問題はもうさておきましょう。とにかく、片手の掌の上に、四本の指が重なるように、もう一つの手の甲をおきます。両手とも掌は上へ向いています。親指は下でぶら下がることでもなく、山を作ることでもなく、指先が軽く触っている状態で一直線を結んでいます。この手の持ち方を「法海定印」といい、仏像にもよく見かけます。「定印」は梵語でDhyana MudraもしくはSamadhi Mudraといい、坐禅三昧の手の持ち方という意味です。この坐禅三昧に一人で入るのではなく、一滴の水が大海に溶け込むがごとく、全宇宙(法海)とともに坐るのです。いや、「私」の入る余地のない全宇宙(法海)がそのまま坐禅三昧に入ることから、「法海定印」というのではないでしょうか。
 いったん法海定印を組むことは決して難しくありませんが、坐禅中にその法海定印を保ち続けることは意外と大変なのです。夏など、蚊が飛んできたりしますが、手はついついそれを取っ払おうとします。中には痒いからといって頭を掻く人もいますが、私が「うごくな!」と注意すると、気づく前に手が勝手に動いたといいます。
 そもそも、人間の手はその人が意識しようが意識しまいが、主人のこころを正直に語っています。怒っているときには手を握ったり、眠いときはだらりとさげたり、考え事をしているときには腕組になったり、得意になったときは手をたたいたりします。私の場合、人前で話しにうつつを抜かしているときなどよく手が勝手に空に舞うこともあります。撫でる・叩く・摩る・手当てもできる手には表情があり、言語があり、感情や情報を伝える「手段」でもあります。
 坐禅の時にはそれら一切をやめて、ただ坐ることを心得ていることから、手で静かに法海定印を結びますが、その人のこころのありようによって、親指が山になったり谷になったり、印全体が傾いたりすることはよくあることです。「私」というものがなかなか消えないものです。本人が気づかないことがほとんどですが、傍から見ればすぐその人のこころのありようが分かります。

 

               

 

 

               

 

 

                

 

 坐禅のベテラン中のベテランといえば、沢木興道老師ではないでしょうか。坐禅している老師の写真はいくつもありますが、坐禅の実物見本といっても過言ではないお姿でさえ、手は多くの場合、中心から二、三センチほど左に逸れているのがわかりますか。若かったころはそうでもなかったようです、年を取るにつれて、手は左のほうへいってしまいます。