『正法眼蔵・行持』講義

 洪州江西開元寺大寂禪師、諱道一、漢州十方縣人なり。

 南嶽に參侍すること十餘載なり。あるとき、郷里にかへらんとして半路にいたる。半路よりかへりて燒香禮拜するに、南嶽ちなみに偈をつくりて馬祖にたまふにいはく、

 勸君すらく歸郷すること莫れ、

 歸郷は道行はれず、

 竝舍の老婆子、

 汝が舊時の名を説かん。

 この法話をたまふに、馬祖、うやまひたまはりて、ちかひていはく、われ生生にも漢州にむかはざらんと誓願して、漢州にむかひて一歩をあゆまず。

 江西に一往して十方を往來せしむ。わづかに即心是佛を道得するほかに、さらに一語の爲人なし。しかありといへども南嶽の嫡嗣なり、人天の命脈なり。

 いかなるかこれ莫歸郷。莫歸郷とはいかにあるべきぞ。東西南北の歸去來、ただこれ自己の倒起なり。まことに歸道不行なり。道不行なる歸郷なりとや行持する、歸郷にあらざるとや行持する、歸郷なにによりてか道不行なる。不行にさへらるとやせん、自己にさへらるとやせん。

 竝舍老婆子は説汝舊時名なりとはいはざるなり。

 竝舍老婆子、説汝舊時名なりといふ道得なり。

 南嶽いかにしてかこの道得ある、江西いかにしてかこの法語をうる。その道理は、われ向南行するときは大地おなじく向南行するなり、餘方もまたしかあるべし。須彌大海を量としてしかあらずと疑殆し、日月星辰に格量して猶滯するは小見なり。

 

 第三十二祖大滿禪師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を稱なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳傳法よりのち、七十有四にいたるまで、佛祖正法眼藏、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付屬する、不群の行持なり。衣法を神秀にしらせず、慧能に付屬するゆゑに正法の壽命不斷なるなり。