『正法眼蔵・行持』講義

原文: 先師天童和尚は越上人事なり。十九歳にして教學をすてて參學するに、七旬におよんでなほ不退なり。嘉定の皇帝より紫衣師號をたまはるといへどもつひにうけず、修表辭謝す。十方の雲衲ともに崇重す、遠近の有識ともに隨喜するなり。皇帝大悦して御茶をたまふ。しれるものは奇代の事と讃歎す、まことにこれ眞實の行持なり。そのゆゑは、愛名は犯禁よりもあし。犯禁は一事の非なり、愛名は一生の累なり。おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ。うけざるは行持なり、すつるは行持なり。六代の祖師、おのおの師號あるは、みな滅後の敕謚なり、在世の愛名にあらず。しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、佛祖の行持をねがふべし。貪愛して禽獸にひとしきことなかれ。おもからざる吾我をむさぼり愛するは禽獸もそのおもひあり、畜生もそのこころあり。名利をすつることは人天もまれなりとするところ、佛祖いまだすてざるはなし。
あるがいはく、衆生利益のために貪名愛利すといふ、おほきなる邪説なり。附佛法の外道なり、謗正法の魔黨なり。なんぢいふがごとくならば、不貪名利の佛祖は利生なきか。わらふべし、わらふべし。又、不貪の利生あり、いかん。又そこばくの利生あることを學せず、利生にあらざるを利生と稱ずる、魔類なるべし。なんぢに利せられん衆生は、墮獄の種類なるべし。一生のくらきことをかなしむべし、愚蒙を利生に稱ずることなかれ。しかあれば、師號を恩賜すとも上表辭謝する、古來の勝躅なり、晩學の參究なるべし。まのあたり先師をみる、これ人にあふなり。
先師は十九歳より離郷尋師、辨道功夫すること、六十五歳にいたりてなほ不退不轉なり。帝者に親近せず、帝者にみえず。丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。紫衣師號を表辭するのみにあらず、一生まだらなる袈裟を搭せず、よのつねに上堂入室、みなくろき袈裟裰子をもちゐる。