智源寺僧堂で「現成公案」講義(4)

【現成公案】 諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。 萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。 佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。 自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。 迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。 さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。 諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず。 しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。 身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聽取するに、したしく會取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。 一方を證するときは一方はくらし。