原文 https://bit.ly/31evXtY 「第十四祖龍樹…」
英訳 https://bit.ly/39MiZaO [42]…
https://us02web.zoom.us/j/81155940222 PW:887494
資料 https://drive.google.com/file/d/11aKS... 次回は10月4日、8:10~10:00。
@芦屋仏教会館 https://ashiyabk.org/
生死の中に仏あれば、生死なし。
またいはく、生死の中に仏なければ、生死にまどはず。
こころは夾山・定山といはれし、ふたりの禅師のことばなり。得道の人のことばなれば、さだめてむなしくもうけじ。 生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨をあきらむべし。
もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。 いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなヘり。ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし このときはじめて、生死をはなるる分あり。
生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらいにて、すでにさきありのちあり。かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。 生というときには、生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがふことなかれ。
この生死は、すなはち仏の御いのちなり。 これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなうなり。仏のありさまをとどむるなり。 いとうことなく、したうことなき、このときはじめて、仏のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ。
ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。
仏となるにいとやすきみちあり。 もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のためにあはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心におもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく。またほかにたづぬることなかれ。
正法眼蔵・生死