坐禅&勉強会(『正法眼蔵・随聞記』⑥)& 『王索仙陀婆』を読む

資料:https://drive.google.com/file/d/18d6xpqLECCZ0EmxmfMJ9hu-o37M6BmRo/view?usp=sharing

次回の開催情報:https://muhone.hatenablog.com/entry/1999/01/01/000000

有句無句、如藤如樹。餧驢餧馬、透水透雲。  

すでに恁麼なるゆゑに、

 大般涅槃經中、世尊道、譬如大王告諸群臣仙陀婆來。仙陀婆者、一名四實。一者鹽、二者器、三者水、四者馬。如是四物、共同一名。有智之臣善知此名。若王洗時索仙陀婆、即便奉水。若王食時索仙陀婆、即便奉鹽。若王食已欲飲漿時索仙陀婆、即便奉器。若王欲遊索仙陀婆、即便奉馬。如是智臣、善解大王四種密語。

 (大般涅槃経中に、世尊のたまわく、譬えば大王が諸の群臣に仙陀婆来ると告げるが如し。仙陀婆とは一つの名にして四つの実あり。一つには塩、二つには器、三つには水、四つには馬なり。是の如くの四物は共に同一の名なり。有智の臣下はよくこの名を知れり。若し王が洗時に索仙陀婆するに、即便ち水を奉る。若し王が食事に索仙陀婆するに、即便ち塩を奉る。若し王が食後に漿を飲まんと索仙陀婆するに、即便ち器を奉る。若し王が遊せんと索仙陀婆するに、即便ち馬を奉る。是の如くの智臣は、善く大王の四種の密語を解す。)

 この王索仙陀婆ならびに臣奉仙陀婆、きたれることひさし、法服とおなじくつたはれり。世尊すでにまぬかれず擧拈したまふゆゑに、兒孫しげく擧拈せり。疑著すらくは、世尊と同參しきたれるは仙陀婆を履践とせり、世尊と不同參ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得。すでに佛祖屋裏の仙陀婆、ひそかに漏泄して大王家裏に仙陀婆あり。

 大宋慶元府天童山宏智古佛上堂示衆云、擧、僧問趙州、王索仙陀婆時如何。趙州曲躬叉手。雪竇拈云、索鹽奉馬。

 師云、雪竇一百年前作家、趙州百二十歳古佛。趙州若是雪竇不是、雪竇若是趙州不是。且道、畢竟如何天童不免下箇注脚。差之毫釐、失之千里。會也打草驚蛇、不會也燒錢引鬼。荒田不揀老倶胝、只今信手拈來底。

 (大宋の慶元府天童山の宏智古仏が上堂示衆に云う、挙す、僧が趙州に問う、王索仙陀婆の時如何。趙州は曲躬して叉手す。

 雪竇が拈じて云う、索塩奉馬。

 師云く、雪竇は百年前の作家、趙州は百二十歳の古仏。趙州が是なら雪竇は不是、雪竇が是なら趙州は不是。且らく道え、畢竟如何。天童は箇の注釈を下す事免れず。毫釐も差あれば、千里を失う。会すれば草を打って蛇を驚かす、不会ならば銭を焼いて鬼を引く。荒田を揀(えら)ばず老倶胝、ただ今手に信(まか)せて拈じ来る。)

 先師古佛上堂のとき、よのつねにいはく、宏智古佛。 しかあるを、宏智古佛を古佛と相見せる、ひとり先師古佛のみなり。宏智のとき、徑山の大慧禪師宗杲といふあり、南嶽の遠孫なるべし。大宋一國の天下おもはく、大慧は宏智にひとしかるべし、あまりさへ宏智よりもその人なりとおもへり。このあやまりは、大宋國内の道俗、ともに疎學にして、道眼いまだあきらかならず、知人のあきらめなし、知己のちからなきによりてなり。 宏智のあぐるところ、眞箇の立志あり。 趙州古佛、曲躬叉手の道理を參學すべし。正當恁麼時、これ王索仙陀婆なりやいなや、臣奉仙陀婆なりやいなや。 雪竇の索鹽奉馬の宗旨を參學すべし。いはゆる索鹽奉馬、ともに王索仙陀婆なり、臣索仙陀婆なり。世尊索仙陀婆、迦葉破顔微笑なり。初祖索仙陀婆、四子、馬鹽水器を奉す。馬鹽水器のすなはち索仙陀婆なるとき、奉馬奉水する關棙子、學すべし。 南泉一日見隱峰來、遂指淨瓶曰、淨瓶即境、瓶中有水、不得動著境、與老僧將水來(南泉一日、隱峰の來るを見て、遂に淨瓶を指して曰く、淨瓶即はち境なり、瓶中に水有り、境を動著することを得ず、老僧が與に水を將ち來るべし)。 峰遂將瓶水、向南泉面前瀉(峰、遂に瓶の水を將つて、南泉の面前に向つて瀉す)。 泉即休(泉、即ち休す)。 すでにこれ南泉索水、徹底海枯。隱峰奉器、瓶漏傾湫(南泉水を索むる、底に徹し海枯る。隱峰器を奉る、瓶漏れて湫を傾く)。しかもかくのごとくなりといへども、境中有水、水中有境を參學すべし。動水也未、動境也未。 香嚴襲燈大師、因僧問、如何是王索仙陀婆(如何ならんか是れ王索仙陀婆)。 嚴云、過遮邊來(遮邊を過ぎ來れ)。 僧過去(僧、過ぎ去く)。 嚴云、鈍置殺人。 しばらくとふ、香嚴道底の過遮邊來、これ索仙陀婆なりや、奉仙陀婆なりや。試請道看(試みに道ひ看んことを請ふ)。 ちなみに僧過遮邊去せる、香嚴の索底なりや、香嚴の奉底なりや、香嚴の本期なりや。もし本期にあらずは鈍置殺人といふべからず。もし本期ならば鈍置殺人なるべからず。香嚴一期の盡力道底なりといへども、いまだ喪身失命をまぬかれず。たとへばこれ敗軍之將さらに武勇をかたる。おほよそ説黄道黒、頂眼睛、おのれづから仙陀婆の索奉、審々細々なり。拈柱杖、擧拂子、たれかしらざらんといひぬべし。しかあれども、膠柱調絃するともがらの分上にあらず。このともがら、膠柱調絃をしらざるがゆゑに、分上にあらざるなり。 世尊一日陞座、文殊白槌云、諦觀法王法、法王法如是。世尊下座。 雪竇山明覺禪師重顯云、 列聖叢中作者知  法王法令不如斯 衆中若有仙陀客  何必文殊下一槌 しかあれば、雪竇道は、一槌もし渾身無孔ならんがごとくは、下了未下、ともに脱落無孔ならん。もしかくのごとくならんは、一槌すなはち仙陀婆なり。すでに恁麼人ならん、これ列聖一叢仙陀客なり。このゆゑに法王法如是なり。使得十二時、これ索仙陀婆なり。被十二時使、これ索仙陀婆なり。索拳頭、奉拳頭すべし。索拂子、奉拂子すべし。 しかあれども、いま大宋國の諸山にある長老と稱ずるともがら、仙陀婆すべて夢也未見在なり。苦哉々々、祖道陵夷なり。苦學おこたらざれ、佛祖命脈まさに嗣續すべし。たとへば、如何是佛といふがごとき、即心是佛と道取する、その宗旨いかん。これ仙陀婆にあらざらんや。即心是佛といふはたれといふぞと、審細に參究すべし。たれかしらん、仙陀婆の築著磕著なることを。

正法眼藏第七十四 爾時寛元三年十月二十二日在越州大佛寺示衆