オンライン坐禅&勉強会『普勧坐禅儀』(2)

明日(2020年4月12日)の資料:

『普勧坐禅儀』勉強会 第二回 2020/04/12 

『流転会』第6回勉強会/担当 大西
普勧坐禅儀・流布本 

二段落目 「夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲食(おんじき)節あり~   ~如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。」まで 

ネルケ無方老師のブログ無方地帯「坐禅&勉強会『普勧坐禅儀』(1)」 https://muhone.hatenablog.com/entry/2020/04/05/115649 より

(1)要旨
坐禅に関する準備、作法、方法(調身・調息・調心)について書かれている。
① 準備 それ、参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲食(おんじき)節あり。 寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、
安楽の法門となるように準備する。 坐禅するときには、できるだけ環境や心身の調子をととのえる。 ー『宗教としての道元禅』内山興正 身体的な感覚(空腹、痛み等)や念(思い)が坐禅に影響するので、それらがなるべく生 じないようあらかじめ坐禅の前に準備しておく。 準備のためには坐禅以外の日々の過ごし方が重要か。
② 作法 座布団の上に坐蒲をおいて坐る 結跏趺坐、半跏趺坐、法界定印 目は須(すべか)らく常に開くべし。
③ 調身 正身端坐 身相(しんそう)既に調(ととの)へて、

④ 調息 鼻息(びそく)、微かに通じ、
⑤ 調心 諸縁を放捨(ほうしゃ)し万事を休息して、 善悪を思わず是非を管することなかれ。 心意識の運転を停め、念想観の測量(しきりょう)を止めて、 作仏(さぶつ)を図ることなかれ。

(2)問い
「念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて」について

仏祖曰く、白癩野干之心を発すと雖も、二乗自調之行を作すこと莫れ。ー「永平広録」巻五 随息観やヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス等の手法も試してみたくなるが、ここまできつく 批判をされていることに戸惑いを感じる。これは、上座部の技法や精神を批判しているのか、あ くまでも技法を用いることが良くないのか?


調心と「正身端坐」の関係について

正身端坐について説明が詳細になされている。 骨組みと筋肉で正しい坐相をねらう ―『宗教としての道元禅』内山興正 長時間坐っても疲れない体のフォームをねらう。手のひらに箒を乗せバランスを取るような感 じ。 頭で意図的に形を作るのではなく、体にまかせるイメージ。生死


「箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量 せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。」の解釈について

いろんな訳がありますがどれも理解できませんでした。


道元禅師の不普坐禅儀と禅苑清規(ぜんねんしんぎ)(長蘆宗賾編)・坐禅儀」坐禅の捉 え方について

坐禅というものの表現方法に差異を感じる。 禅苑清規では坐禅の効用が具体的に書かれてある。 道元禅師の普勧坐禅儀ではそれが抽象的に書かれている。

「窃(ひそ)かに謂(い)うに坐禅は乃ち安楽の法門なり。而るに人多く疾を致すは、蓋し用心 を善くせざるが故なり。若し善く此の意を得れば、則ち自然に四大軽安(しだいきょうあん)、 精神爽利、正念分明にして、法味神を資け、寂然として清楽ならん。」ー「禅苑清規」
 四大ー地・水・火・風、ここでは四大不調の意味での身体ということか?  軽安ー心の軽快性。五位七十五法の心所法のうち大善地法の一つ。  身体も心も軽快になるということか。
方便でもいいから衆生が何を得ることができるか書いてもいいのでは    ⇒ 損得勘定という分別心を働かせて坐禅をしてしまう。
坐禅の効用を詳細に教えることで、坐禅をすることが目的のための手段に成り下がる。 社会における取引と何ら変わらない。 すると凡夫が凡夫のまま坐禅をしてしまったり、効用を得ることに執著してしまう。 それ故に道元禅師は普勧坐禅儀には坐禅の効用を具体的に記さなかったのではないか?


参考文献:『宗教としての道元禅』内山興正 著(柏樹社) 『道元禅師全集』鏡島元隆(講談社学術文庫