流転会(野外坐禅&正法眼蔵随聞記の輪講35)

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チャット記録:

00:06:49    Jyunichiro Takano:    おはようございます
00:07:20    火童:    おはようございます!
00:09:37    Minoda Hd:    おはようございます♪
9時頃まで、画面音声OFFで参加します。
よろしくお願いします♫
00:09:55    Kei-ichiro Imazai:    Guten Morgen!
00:10:02    Jyunichiro Takano:    よろしくお願いします
00:11:26    Chiaki:    皆さま、おはようございます。😊
00:12:20    島 雄:    おはようございます。こちら、秋晴れ。
00:13:10    mori:    おはようございます。良い天気ですね!
00:16:20    Zhang Xuan:    Good morning everybody.
00:38:31    Kei-ichiro Imazai:    出家している人は、出家した以上、家族も世間も捨てて生きるのが本来であると思います。釈迦なんか故郷が滅びても政治に関与しなかったですしね。話がまた戻ってしまいますが、問題は、現代日本における出家とはどういうものかという議論に行きついてしまうのではないでしょうか。
00:42:48    Kei-ichiro Imazai:    きかれたら意見は言うけれど、主体的に政治運動はしないと記憶しています。
00:46:29    Kei-ichiro Imazai:    アンベードカルでしょうか。
00:47:35    Kei-ichiro Imazai:    なお、確かスリランカテーラワーダカーストを認めていると聞いています。
01:05:38    Kei-ichiro Imazai:    有馬大龍老師!
01:24:25    Kei-ichiro Imazai:    「寛容」はキリスト教に代わる西欧の価値観ではないでしょうか。
01:27:07    Kei-ichiro Imazai:    宗教が政治に関与するのであれば、他の政治権力、力学によって滅ぼされることも覚悟する必要があるということでしょうね。
01:29:30    Kei-ichiro Imazai:    毎日、早朝から大音量でスピーカーからのお祈りが聞こえてくるのはどうしたら良いでしょう(笑)。
01:33:24    Kei-ichiro Imazai:    真面目なクリスチャンはエクレシア(教会)という組織を除いて宗教を捉えるということは出来ないでしょう。
01:43:20    Kei-ichiro Imazai:    欧米の価値観はイスラム教に対して無力だと思います。
01:51:23    Kei-ichiro Imazai:    道元の出家至上主義は、そのような都合の良いところだけ仏教をつまみ食いし、戒律や清規を守れなかったら自分は在家だと言い訳する、そういうことへの戒めだったのでは無いでしょうか
02:04:37    Kei-ichiro Imazai:    菩薩行は世俗諦でしょうか。ここに理解の鍵があるように思います。
02:06:09    Zhang Xuan:    Shogitai  - is absolute truth, seizokutai? - is relative truth?
02:06:51    Kei-ichiro Imazai:    I think so, basically.
02:07:33    Zhang Xuan:    Thank you.
02:08:51    島 雄(Yu  Shima):    But, you
02:09:31    島 雄(Yu  Shima):    I7m sorryy.Sorry,
02:09:48    火童:    自由からの自由
02:10:00    島 雄(Yu  Shima):    Very sorry, I mistook.
02:11:09    島 雄(Yu  Shima):    二つ並べること自体、 relative ということを言いたかったです。
02:11:56    内ヶ崎博昭:    ありがとうございました
02:12:09    Kei-ichiro Imazai:    「勝義諦/世俗諦」=世俗諦(笑)
02:12:09    mori:    本日も、ありがとうございました。
02:12:11    Jyunichiro Takano:    ありがとうございました
02:12:29    Masumi Sakikawa:    ありがとうございました。

『辨道話』を読む⑥

辨道話

諸佛如來、ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり…。

ここをもて、わづかに一人一時の坐禪なりといへども、諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに。無盡法界のなかに去來現に、常恒の佛化道事をなすなり…。

(十八問答・第一問) いまこの坐禪の功德高大なることをききをはりぬ。おろかならん人うたがふていはん、佛法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禪をすすむるや。

しめしていはく、これ佛法の正門なるをもてなり。

(十八問答・第二問) とふていはく、なんぞひとり正門とする。

しめしていはく、大師釋尊、まさしく得道の妙術を正傳し、また三世の如來、ともに坐禪より得道せり。 ここのゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禪より得道せるなり、ゆゑにいま正門を人天にしめす。

(十八問答・第三問) とふていはく、あるひは如來の妙術を正傳し、または祖師のあとをたづぬるによらん、ままことに凡慮のおよぶにあらず。しかはあれども、讀經念佛は、おのづからさとりの因縁となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからん、なにによりてかさとりをうるたよりとならん。

しめしていはく、なんぢいま諸佛の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはん、これを大乘を謗する人ととす。まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら、水なしといはんがごとし。すでにかたじけなく諸佛受用三昧に安坐せり。これ廣大の功德をなすにあらずや。あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを。おほよそ諸佛の境界は、不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはんや不信劣智のしることをえんや。ただ正信の大機のみよくいることをうるなり。不信の人はたとひをしふとも、うくべきことかたし。靈山になほ退亦佳矣(タイヤクケイ)のたぐひあり、おほよそ心に正信おこらば、修行し參學すべし。しかあらずば、しばらくやむべし、むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく  

衆生の外に仏なし 衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ

譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり

長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず

六趣輪廻の因縁は  己が愚痴の闇路なり

闇路にやみぢを踏そへて  いつか生死をはなるべき

夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり

布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等

其品多き諸善行  皆この中に帰するなり

一座の功をなす人も  積し無量の罪ほろぶ

悪趣いづくにありぬべき  浄土即ち遠からず

辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時

さんたん随喜する人は  福を得る事限りなし

いはんや自ら回向して  直に自性を証すれば

自性即ち無性にて  すでに戯論(げろん)を離れたり

因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し

無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず

無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声

三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん

此時何をか求むべき  寂滅現前するゆゑに

当所(とうじょ)即ち蓮華国  此身即ち仏なり

坐禅&勉強会(『正法眼蔵・随聞記』34)

資料:https://drive.google.com/file/d/1XwKEB70F6r7kTZlvMIuCFiOqObnGjfvS/view?usp=sharing

チャット記録:

01:15:16 K.I.: お話を伺っていて、競争相手の胸を借り、相手に敬意を持って挑戦する、つまり相手の胸を借りて真剣に争うということが、ゲームを降りてゲームをするということのように感じました。

01:17:22 ネルケ 無方: 基本的には世の中はものごとが単純でスムーズであることのほうが望まれているので、既に解決済みとされている問題にいちいち引っかかって問題を増やすようなことを生業にしている人たちは肩身が狭い。別に哲学者でなくても、そういう人は生きづらいだろうし、とか考えてると胸が打たれますね。

01:28:24 ネルケ 無方: (小野ホリデイ)

01:32:56 K.I.: 少なくとも、出家に意義を見出す宗派では、出家者は在家の政治判断に関与すべきではないのではないでしょうか。税金もかけられていませんし(笑)。

01:45:12 火童: 念彼観音力 大効率発電

01:47:06 島(Shima)   雄(Yu):  使う電気を減らしましょう。少欲知足!

01:48:35 K.I.: 人は競争を生きるしかないと思います。それをゲームと思える人は仏教者、ゲームと思えない人はその他の人。ただ、いずれにしても競争という現実の中で、天国、極楽を求めず、今ここにある競争を存分に生きるのが、禅的な生活のように思います

01:49:39 K.I.: 日蓮はそもそも政治活動が好きでしたからね。右だし(笑)。

01:51:23 K.I.: 神のものは神に、皇帝のものは皇帝に、が本来のキリスト教ですが、ローマ皇帝神聖ローマ皇帝の歴史があるので、宗教勢力は常に政治と切り離せないと思います。

01:55:50 K.I.: こういえば良いでしょうか。どうせ競争を生きざるを得ないのであれば、そのゲーム性を看破して生きよう!

01:57:28 火童: ゲームって麻薬とかドーピングみたいなもんじゃないでしょうか。なんかパワーが出るけど副作用がある。

01:58:28 火童: シラフだとパンチが弱いかもしれないけど、本当にそれでどうにもならないのかなってことですね。

01:59:38 K.I.: 規模が小さい集団であれば競争をしないということも可能かなと。しかし、我々20世紀を生きた人類は社会主義の失敗を見ているので競争なしを全世界的に実現するというのは俄には想像できません。

02:01:06 K.I.: 特に競争を仕掛けてくる相手がいる場合、善良な人は皆食い物にされてしまうのではないでしょうか。

02:01:49 火童: 世界全体が社会主義だったらよかったんだろうけど、資本主義の国があったせいで負けたんじゃないですかねw

02:02:14 火童: まあ全体主義は嫌ですね

02:02:35 K.I.: 皆が競争をやめたら、僕は狼になる確信があります(笑)

02:08:07 okuwa: 生物としての進化的に慈悲心が人類全体に行き渡るかどうかがポイントだと思います。

02:11:21 K.I.: 安泰寺の猪(笑)

02:14:22 mori: ゲームの勝負から下りること意識し、毎日を送っています。本日もありがとうございます。

02:14:24 K.I.: 自分ばかりしゃべりすぎました。すみません。ありがとうございました。

 

 

典座教訓講義③

典座教訓

https://eiheizen.jimdofree.com/%E5%85%B8%E5%BA%A7%E6%95%99%E8%A8%93/

觀音導利興聖寶林禪寺 比丘道元

 佛家に本より六知事有り、共に佛子たり、同じく佛事を作す。中就(なかんずく)、典座の一職は、是れ衆僧の辨食を掌(つかさど)る。

 『禪苑清規(ぜんねんしんぎ)』に云く、「衆僧を供養す、故に典座有り」と。 古(いにしえ)より道心の師僧、發心の高士、充(み)て來るの職なり。蓋し、一色(いっしき)の辨道に猶(よる)歟(か)。

 若し道心なき者は徒らに辛苦を勞して、畢竟、益無し。

 『禪苑清規』に云く、「須く道心を運(めぐ)らし時に随つて改變し、大衆をして受用安樂ならしむべし」と。

 昔日(そのかみ)潙山(いさん)、洞山(とうざん)等、之れを勤め、其の餘の諸大祖師も、曾て經(へ)來れり。所以に世俗の食厨子(じきずし)、及び饌夫(せんぷ)等に同じからざる者か。

 山僧、在宋の時、暇日、前資勤舊(ぜんしごんきゅう)等に咨問するに、彼等聊(いささか)見聞を擧し、以て山僧が爲に説く。此の説似は、古來有道の佛祖の遺す所の骨隨なり。

 大抵、須く『禪苑清規』を熟見すべし。然る後、須く勤舊子細の説を聞くべし。

  所謂、當職は一日夜を經て、先ず齋時罷(さいじは)に、都寺(つうす)、監寺(かんす)等の邊に就て、翌日の齋粥の物料を打す。所謂、米菜等なり。打得し了(おわり)て、之を護惜すること眼睛(がんぜい)の如くせよ。保寧(ほねい)の勇(ゆう)禪師曰く、「眼睛なる常住物を護惜せよ」と。

 之を敬重すること御饌草料(ぎょせんそうりょう)の如く、生物熟物、倶に此の意を存せよ。

 次に諸知事、庫堂に在て商量すは、明日甚なんの味を喫し、甚の菜を喫し、甚の粥等を設くと。 『禪苑清規』に云く、「物料並に齋粥の味敷を打す如きは、竝に預先まづ庫司くす知事と商量せよ」と。 所謂、知事には都寺、監寺、副寺ふうす、維那いのう、典座、直歳しっすいあり。

 味敷を議定し了りて、方丈衆寮しゅりょう等に嚴浄牌ごんじょうはいを書呈せよ。然る後、明朝の粥を設辨す。 米を淘えり菜等を調へ、自らの手にて親しく見、精勤誠心にして作せ。一念も踈怠緩慢にし、一事を管看かんかんし、一事をも管看すべからず。

 功徳海中に一滴も也また譲ること莫く、善根ぜんごん山上、一塵も亦た積む可きか。 『禪苑清規』に云く、「六味精せず、三徳給せずば、典座の衆に奉する所以ゆえんに非ず」と。